Mr.DIMER Journal
【Insta Thanks 7000 follow】「阪急7000系」(Vol.2)
<「THE 阪急顔」の完成形、7000系> 6000系をベースに、1980年から1988年まで210両が製造された阪急7000系。 阪急における同一系列の製造数としては、現在も最多を誇ります。 6000系とほぼ同一の車体でありながら、1984年製の7011F・7021F・7031F以降からは、本格的にアルミ合金車体を採用。 最大幅2,750mmに抑えつつ、外板幅を30mm拡げるなど、収容力向上のための工夫も凝らされています。 制御方式には、電機子チョッパ制御ではなく、保守性・価格の両面で有利とされた、界磁チョッパ制御を採用。 神戸線でも4M4T編成での運転を可能にしました。 2014年からはVVVFインバータ制御化を伴う、リニューアル工事が進行しており、一部編成は観光特急「京とれいん 雅洛」としても活躍しています。 <車両データ>運用開始:1980年運用終了:運行中製造両数:210両 *************************************************Instagramのフォロワー数が7,100名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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<「THE 阪急顔」の完成形、7000系> 6000系をベースに、1980年から1988年まで210両が製造された阪急7000系。 阪急における同一系列の製造数としては、現在も最多を誇ります。 6000系とほぼ同一の車体でありながら、1984年製の7011F・7021F・7031F以降からは、本格的にアルミ合金車体を採用。 最大幅2,750mmに抑えつつ、外板幅を30mm拡げるなど、収容力向上のための工夫も凝らされています。 制御方式には、電機子チョッパ制御ではなく、保守性・価格の両面で有利とされた、界磁チョッパ制御を採用。 神戸線でも4M4T編成での運転を可能にしました。 2014年からはVVVFインバータ制御化を伴う、リニューアル工事が進行しており、一部編成は観光特急「京とれいん 雅洛」としても活躍しています。 <車両データ>運用開始:1980年運用終了:運行中製造両数:210両 *************************************************Instagramのフォロワー数が7,100名を超えました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。Mr.DIMER*************************************************
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【憧れのブルトレ Vol.8】JR発足後唯一の24系「夢空間」。次世代寝台列車の模索(1989年)
<"車両の形をした建築物"として生まれた、3両の夢> 前回(Vol.7)は、寝台列車の"カジュアル化"の先駆けたる、レガートシート車をご紹介しました。 今回はその対極、"豪華"の極みを模索した3両の客車、「夢空間」を取り上げます。 ■博覧会でデビューした異色の経歴夢空間が誕生したのは、1989年(平成元年)。 次世代寝台車両の方向性を探るため、JR東日本が製造した、わずか3両の豪華客車です。 特筆すべきは、そのデビューの舞台が、"線路の上"ではなかったこと。 同年開催の横浜博覧会(YES'89)の最寄り駅桜木町駅前の自社展示ブース「夢空間'89」にて、"車両の形をした建築物"として展示されたのが、夢空間のお披露目でした。 誕生前年の1988年に来日した、「オリエント・エクスプレス '88」の設計思想を参考に、内装・外部塗色とも、1両ごとに独自の意匠が凝らされています。 ■百貨店がデザインした客車夢空間を語る上で外せないのが、その異色のデザイン、製造体制。 ・デラックススリーパー(オロネ25 901) 製造:日本車輌製造/内装:髙島屋 2人用個室「エクセレントスイート」1室、 「スーペリアツイン」2室。 全室にバスルーム付き。定員はわずか6名。 ・ラウンジカー(オハフ25 901) 製造:富士重工業/内装:松屋 バーラウンジに、自動演奏装置付きピアノを設備。 ・ダイニングカー(オシ25 901) 製造:東急車輛製造/内装:東急百貨店 最後尾に連結される展望室付きの食堂車。 車両メーカーと百貨店がタッグを組み、1両ずつ異なる世界観を作り込む。"走るホテル"ならぬ、"走るおもてなし空間"の創造に業界の垣根を越えて手を携えた歴史です。 ■JR発足後、最初で最後の24系夢空間は自車に電源装置を持たないため、単独では走れず、24系や14系客車と併結して運行されました。 このため、車体構造・台車・サービス電源などの仕様は24系客車に合わせられており、形式もまた、24系。 つまり1989年に登場した夢空間の3両は、"JR発足後かつ、平成時代に新造された最初で最後の24系客車"ということになります。 他方、3両それぞれに"900番台"が区分されたのは、"24系"と言いつつ中身はまったくの別モノ、"新世代の車両であることへの意欲"を示した証左でしょう。 ■夢空間が遺したもの展示終了後は、「夢空間北斗星」をはじめとする団体専用列車や臨時列車で活躍。 1992年の年末には、テレビ番組の企画で九州へ乗り入れた実績も。 2008年3月をもって営業運転を終了しましたが、その設計手法は、後の「カシオペア」ことE26系客車へと確かに受け継がれました。 ■そして2026年、夢空間は今も現役 引退から18年。夢空間は現在、3両すべてが解体を免れ、今なお"現役"で活躍しています。 デラックススリーパーは、東京・木場のレストラン「アタゴール」として、長らく親しまれています。 そしてラウンジカーとダイニングカーの2両にも、つい先日、新たな動きがありました。 埼玉・ららぽーと新三郷での展示を経て、今年(2026年)、東京都清瀬市の清瀬市立中央公園へと移設。 この4月末より、レストランとして営業を開始したばかりです。...
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<"車両の形をした建築物"として生まれた、3両の夢> 前回(Vol.7)は、寝台列車の"カジュアル化"の先駆けたる、レガートシート車をご紹介しました。 今回はその対極、"豪華"の極みを模索した3両の客車、「夢空間」を取り上げます。 ■博覧会でデビューした異色の経歴夢空間が誕生したのは、1989年(平成元年)。 次世代寝台車両の方向性を探るため、JR東日本が製造した、わずか3両の豪華客車です。 特筆すべきは、そのデビューの舞台が、"線路の上"ではなかったこと。 同年開催の横浜博覧会(YES'89)の最寄り駅桜木町駅前の自社展示ブース「夢空間'89」にて、"車両の形をした建築物"として展示されたのが、夢空間のお披露目でした。 誕生前年の1988年に来日した、「オリエント・エクスプレス '88」の設計思想を参考に、内装・外部塗色とも、1両ごとに独自の意匠が凝らされています。 ■百貨店がデザインした客車夢空間を語る上で外せないのが、その異色のデザイン、製造体制。 ・デラックススリーパー(オロネ25 901) 製造:日本車輌製造/内装:髙島屋 2人用個室「エクセレントスイート」1室、 「スーペリアツイン」2室。 全室にバスルーム付き。定員はわずか6名。 ・ラウンジカー(オハフ25 901) 製造:富士重工業/内装:松屋 バーラウンジに、自動演奏装置付きピアノを設備。 ・ダイニングカー(オシ25 901) 製造:東急車輛製造/内装:東急百貨店 最後尾に連結される展望室付きの食堂車。 車両メーカーと百貨店がタッグを組み、1両ずつ異なる世界観を作り込む。"走るホテル"ならぬ、"走るおもてなし空間"の創造に業界の垣根を越えて手を携えた歴史です。 ■JR発足後、最初で最後の24系夢空間は自車に電源装置を持たないため、単独では走れず、24系や14系客車と併結して運行されました。 このため、車体構造・台車・サービス電源などの仕様は24系客車に合わせられており、形式もまた、24系。 つまり1989年に登場した夢空間の3両は、"JR発足後かつ、平成時代に新造された最初で最後の24系客車"ということになります。 他方、3両それぞれに"900番台"が区分されたのは、"24系"と言いつつ中身はまったくの別モノ、"新世代の車両であることへの意欲"を示した証左でしょう。 ■夢空間が遺したもの展示終了後は、「夢空間北斗星」をはじめとする団体専用列車や臨時列車で活躍。 1992年の年末には、テレビ番組の企画で九州へ乗り入れた実績も。 2008年3月をもって営業運転を終了しましたが、その設計手法は、後の「カシオペア」ことE26系客車へと確かに受け継がれました。 ■そして2026年、夢空間は今も現役 引退から18年。夢空間は現在、3両すべてが解体を免れ、今なお"現役"で活躍しています。 デラックススリーパーは、東京・木場のレストラン「アタゴール」として、長らく親しまれています。 そしてラウンジカーとダイニングカーの2両にも、つい先日、新たな動きがありました。 埼玉・ららぽーと新三郷での展示を経て、今年(2026年)、東京都清瀬市の清瀬市立中央公園へと移設。 この4月末より、レストランとして営業を開始したばかりです。...
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【編集長コラム】鉄道車両に感情移入する時があります
本日のお話は、つくばエクスプレスから。直流と交流2つの電化方式で開業した珍しい鉄道路線。 秋葉原から守谷までが直流1,500V。守谷からつくばまでが交流20,000V。守谷とみらい平の間の"デッドセクション"を境に、電気が切り替わります。 理由は、茨城県石岡市柿岡の、気象庁地磁気観測所。精密な観測に影響を及ぼさぬよう、その周辺では直流電化が避けられた、と言うわけであります。 JR常磐線が取手~藤代間で交直を切り替えているのも、まったく同じ事情です。 さて。 直流・交流の両対応車は、製造に費用がかさみます。故につくばエクスプレスは、全線を走ることのできる交直両用車(TX-2000系・3000系)と、秋葉原~守谷間限定の直流専用車(TX-1000系)を、使い分けています。 経営という観点で見ると、旅客需要の高い秋葉原を起点として、八潮、守谷までの区間列車を運行するにあたっては直流専用車だけで事足りる。 わざわざ高価な交直両対応車を製造せずに済む、と言う寸法です。 ところが…そうすると、私はどうにも、"TX-1000系 直流専用車"のことが、気にかかってしまう。 線路は、つくばまで一本に繋がっている。同じ車庫を出て、同じホームに並び、同じ乗客を乗せる仲間がいる。にも関わらず、守谷のあの一点より先へは、進めない。 車両に感情はありません。最も"経営"をしている鉄道会社の采配に感情を持つ理由(筋合い)もありません…直流専用車は秋葉原~守谷間の輸送という立派な役目を全うしているのであって、そこに憐れみなど本来は不要なもの。 もっとも、それは百も承知なのです。 承知の上で、なお。つくばへ行けぬ直流専用車を見ると、どうにも切なくなってしまう。"私もこの先のレールがどうなっているか、見てみたいなぁ"そう思っているように感じてしまいます。 私たち人間は自らの脚で、行きたいところに、行きたいときに、自由に動ける。鉄道車両は、一度レールに載せられると、よほどのことがない限り別の人生を歩むことはできませんよね。 (Mr.DIMER編集長)
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本日のお話は、つくばエクスプレスから。直流と交流2つの電化方式で開業した珍しい鉄道路線。 秋葉原から守谷までが直流1,500V。守谷からつくばまでが交流20,000V。守谷とみらい平の間の"デッドセクション"を境に、電気が切り替わります。 理由は、茨城県石岡市柿岡の、気象庁地磁気観測所。精密な観測に影響を及ぼさぬよう、その周辺では直流電化が避けられた、と言うわけであります。 JR常磐線が取手~藤代間で交直を切り替えているのも、まったく同じ事情です。 さて。 直流・交流の両対応車は、製造に費用がかさみます。故につくばエクスプレスは、全線を走ることのできる交直両用車(TX-2000系・3000系)と、秋葉原~守谷間限定の直流専用車(TX-1000系)を、使い分けています。 経営という観点で見ると、旅客需要の高い秋葉原を起点として、八潮、守谷までの区間列車を運行するにあたっては直流専用車だけで事足りる。 わざわざ高価な交直両対応車を製造せずに済む、と言う寸法です。 ところが…そうすると、私はどうにも、"TX-1000系 直流専用車"のことが、気にかかってしまう。 線路は、つくばまで一本に繋がっている。同じ車庫を出て、同じホームに並び、同じ乗客を乗せる仲間がいる。にも関わらず、守谷のあの一点より先へは、進めない。 車両に感情はありません。最も"経営"をしている鉄道会社の采配に感情を持つ理由(筋合い)もありません…直流専用車は秋葉原~守谷間の輸送という立派な役目を全うしているのであって、そこに憐れみなど本来は不要なもの。 もっとも、それは百も承知なのです。 承知の上で、なお。つくばへ行けぬ直流専用車を見ると、どうにも切なくなってしまう。"私もこの先のレールがどうなっているか、見てみたいなぁ"そう思っているように感じてしまいます。 私たち人間は自らの脚で、行きたいところに、行きたいときに、自由に動ける。鉄道車両は、一度レールに載せられると、よほどのことがない限り別の人生を歩むことはできませんよね。 (Mr.DIMER編集長)
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【鉄道界の】写ルンです
今月(2026年7月)、発売40年を迎えた、富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」。 初代の発売は、1986年7月1日。「いつでも、どこでも、誰でも、簡単に」をコンセプトに、"フィルムにレンズを付ける"という逆転の発想から生まれ、累計販売数は17億本以上。 まさに一世を風靡したヒット商品です。 デジタルカメラの台頭で一時は存在感が薄れたものの、近年はあのアナログな撮影体験がZ世代を中心に再評価され、この8月以降には、実に20年ぶりの新商品として、防水モデルと黒白フィルムモデルが発売されるとのこと。 さて、鉄道界にあっては。 この使い捨てカメラになぞらえ、 "価格半分、重量半分、寿命半分" というコンセプトで登場した209系電車を、「走ルンです」と揶揄(親しみを込めて)したのが始まりでした。 ■"寿命半分"の衝撃209系の登場は1993年。京浜東北線の103系置き換えを目的に、前年の試作車901系を経てデビューしています。 軽量ステンレス車体にVVVFインバータ制御。製造コストは従来車の半分、車体重量もおよそ半分。 そして何より衝撃的だったのが、設計寿命を約13年と割り切った"寿命半分"の思想です。 "電車(鉄道車両)とは数十年使うもの"という価値観が基準の当時にあって、 長持ちさせるための過剰な頑丈さを排し、安く、軽く造り、時代に合わなくなれば潔く更新する。 という設計思想は、まさに革命でした。 薄い車体に、簡素な内装。当時、「安っぽい」と辛辣な評価が少なくなかったことも、正直に記しておくところです。 ■ところが、永く"走ルン"です。デビューから33年が経過した2026年現在、209系は、いまだ走っています。 京浜東北線を退いた後、2009年からは房総地区へ転用。機器更新を受けながら、内房線・外房線・総武本線などで活躍を続けています。 2021年には伊豆急行へ譲渡された車両が「3000系」として運用を開始。 "寿命半分"を標榜した車両が、半世紀選手であった先輩たちに迫る車齢を重ねつつあります。 ■"使い捨て"は誤解だったここで面白いのが、本家・写ルンですとの共通点。 写ルンですは"使い捨てカメラ"と呼ばれ続けましたが、実際には使用済み本体を回収し、部品を再利用する、リサイクルシステムの先駆けでした。 一方の209系も、"使い捨て電車"と揶揄されながら、その実態は、リサイクルを前提として設計し、車体・機器を無駄なく使い切る思想の持ち主。 両者とも、"使い捨て"という呼び名とは裏腹に、「モノを賢く使い切る」ことへ真摯に向き合った先駆者であったと申せましょう。 名で誤解され、実で見直される。似た者同士の40年、33年です。 ■「走ルンです」が遺したもの209系の設計思想は、E231系、E233系、E235系へと受け継がれ、今日のJR東日本一般形車両すべての礎となりました。 言うなれば、現在の首都圏を走る電車たちは、みな「走ルンです」の系譜に連なる子孫たち。 40年を迎えてなお愛される写ルンですと、33年を経てなお走り続ける走ルンです。 "半分"のはずだった寿命をとうに使い果たしてなお現役の姿を見るに、あの揶揄はもはや、賛辞へと転じたのではないか。 と、思うところです。 (Mr.DIMER編集長)...
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今月(2026年7月)、発売40年を迎えた、富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」。 初代の発売は、1986年7月1日。「いつでも、どこでも、誰でも、簡単に」をコンセプトに、"フィルムにレンズを付ける"という逆転の発想から生まれ、累計販売数は17億本以上。 まさに一世を風靡したヒット商品です。 デジタルカメラの台頭で一時は存在感が薄れたものの、近年はあのアナログな撮影体験がZ世代を中心に再評価され、この8月以降には、実に20年ぶりの新商品として、防水モデルと黒白フィルムモデルが発売されるとのこと。 さて、鉄道界にあっては。 この使い捨てカメラになぞらえ、 "価格半分、重量半分、寿命半分" というコンセプトで登場した209系電車を、「走ルンです」と揶揄(親しみを込めて)したのが始まりでした。 ■"寿命半分"の衝撃209系の登場は1993年。京浜東北線の103系置き換えを目的に、前年の試作車901系を経てデビューしています。 軽量ステンレス車体にVVVFインバータ制御。製造コストは従来車の半分、車体重量もおよそ半分。 そして何より衝撃的だったのが、設計寿命を約13年と割り切った"寿命半分"の思想です。 "電車(鉄道車両)とは数十年使うもの"という価値観が基準の当時にあって、 長持ちさせるための過剰な頑丈さを排し、安く、軽く造り、時代に合わなくなれば潔く更新する。 という設計思想は、まさに革命でした。 薄い車体に、簡素な内装。当時、「安っぽい」と辛辣な評価が少なくなかったことも、正直に記しておくところです。 ■ところが、永く"走ルン"です。デビューから33年が経過した2026年現在、209系は、いまだ走っています。 京浜東北線を退いた後、2009年からは房総地区へ転用。機器更新を受けながら、内房線・外房線・総武本線などで活躍を続けています。 2021年には伊豆急行へ譲渡された車両が「3000系」として運用を開始。 "寿命半分"を標榜した車両が、半世紀選手であった先輩たちに迫る車齢を重ねつつあります。 ■"使い捨て"は誤解だったここで面白いのが、本家・写ルンですとの共通点。 写ルンですは"使い捨てカメラ"と呼ばれ続けましたが、実際には使用済み本体を回収し、部品を再利用する、リサイクルシステムの先駆けでした。 一方の209系も、"使い捨て電車"と揶揄されながら、その実態は、リサイクルを前提として設計し、車体・機器を無駄なく使い切る思想の持ち主。 両者とも、"使い捨て"という呼び名とは裏腹に、「モノを賢く使い切る」ことへ真摯に向き合った先駆者であったと申せましょう。 名で誤解され、実で見直される。似た者同士の40年、33年です。 ■「走ルンです」が遺したもの209系の設計思想は、E231系、E233系、E235系へと受け継がれ、今日のJR東日本一般形車両すべての礎となりました。 言うなれば、現在の首都圏を走る電車たちは、みな「走ルンです」の系譜に連なる子孫たち。 40年を迎えてなお愛される写ルンですと、33年を経てなお走り続ける走ルンです。 "半分"のはずだった寿命をとうに使い果たしてなお現役の姿を見るに、あの揶揄はもはや、賛辞へと転じたのではないか。 と、思うところです。 (Mr.DIMER編集長)...
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【お尋ね】幻の"常磐快速線土浦延伸"で計画された"ほんとう"の401系について
もし、国鉄時代に計画された、常磐快速線の土浦延伸が実現していた場合。 交直両用でかつ、4ドア通勤型タイプの車両が導入される計画だったと聞きます。 最も、国鉄民営化によるJR発足後の1995年、"交直両用通勤型電車"と言う初の区分で誕生したE501系によって、これを実現することになったわけですが。 "もしも、国鉄時代に交直両用通勤型電車が登場していたら、 どのような車両で、どのような塗装になっていたのか" これを検討しようとすると、およそ、車体は103系がベースとなることは容易に想定できるものの…塗装は一体どうなっていたのか。思案するわけです。 いわゆる、"常磐線中距離電車"は、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する列車、 常磐線快速電車は、取手までの"通勤電車"ですから、塗装が分かれているのは、誤乗防止・案内性の観点から当然、しかし、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する&通勤電車となれば、どのような塗装が最適だったのか。 やはり、"白電"でしょうか。 E501系がエメラルドグリーン帯を巻き、そして、E531系が白電・415系1500番台譲りの青帯を巻いたように。 "常磐線中距離電車"の一つとしてカラーリングも括られていたのでしょうか。 詳しい諸先輩方、是非、教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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もし、国鉄時代に計画された、常磐快速線の土浦延伸が実現していた場合。 交直両用でかつ、4ドア通勤型タイプの車両が導入される計画だったと聞きます。 最も、国鉄民営化によるJR発足後の1995年、"交直両用通勤型電車"と言う初の区分で誕生したE501系によって、これを実現することになったわけですが。 "もしも、国鉄時代に交直両用通勤型電車が登場していたら、 どのような車両で、どのような塗装になっていたのか" これを検討しようとすると、およそ、車体は103系がベースとなることは容易に想定できるものの…塗装は一体どうなっていたのか。思案するわけです。 いわゆる、"常磐線中距離電車"は、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する列車、 常磐線快速電車は、取手までの"通勤電車"ですから、塗装が分かれているのは、誤乗防止・案内性の観点から当然、しかし、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する&通勤電車となれば、どのような塗装が最適だったのか。 やはり、"白電"でしょうか。 E501系がエメラルドグリーン帯を巻き、そして、E531系が白電・415系1500番台譲りの青帯を巻いたように。 "常磐線中距離電車"の一つとしてカラーリングも括られていたのでしょうか。 詳しい諸先輩方、是非、教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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