Mr.DIMER Journal

夜行急行、寝台急行とは言われたが、"ブルートレイン"とは聞かなかったような…

夜行急行、寝台急行とは言われたが、"ブルートレイン"とは聞かなかったような…

「ブルートレイン」と呼ばれるのは狭義に"14系や24系を用いた寝台特急"だけだったのでしょうか? "ブルートレイン銀河"、より"急行銀河"のイメージが強かったです。(急行 能登 なんかもそうでしたね) 最も、急行銀河は歴代20系、14系、24系を用いた"オール寝台車"によって構成されていましたので立派なブルートレインだったのですが。 さて、本日夜は久しぶりに「もしもシリーズ」をお届け致します。お楽しみに。 (Mr.DIMER編集長)

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夜行急行、寝台急行とは言われたが、"ブルートレイン"とは聞かなかったような…

「ブルートレイン」と呼ばれるのは狭義に"14系や24系を用いた寝台特急"だけだったのでしょうか? "ブルートレイン銀河"、より"急行銀河"のイメージが強かったです。(急行 能登 なんかもそうでしたね) 最も、急行銀河は歴代20系、14系、24系を用いた"オール寝台車"によって構成されていましたので立派なブルートレインだったのですが。 さて、本日夜は久しぶりに「もしもシリーズ」をお届け致します。お楽しみに。 (Mr.DIMER編集長)

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【特集、お召し列車 Vol.4】DD51形842号機<貨物機からお召し牽引機へ、異例の出世を遂げた名機>

【特集、お召し列車 Vol.4】DD51形842号機<貨物機からお召し牽引機へ、異例の出世を遂...

1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。 誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。 SG関連機器やボイラーを省略したことで約6トンの軽量化が図られ、重量配分の見直しに合わせて中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、旅客用とは異なる設計が施されました。 つまり、生まれながらの"貨物機"。 本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。 しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、お召し列車専用の整備を受け、一躍”特別なDD51”となりました。 最大の特徴となったのが、ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、一般機とは一線を画す風格をまといます。 その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。 鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。 しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。 一度きりで終わると思われた栄誉が、平成になって再び巡ってきたのです。 1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。 山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。 さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。 いずれのお召し列車でも、その大役を任されたのは842号機でした。一般貨物機として誕生しながら、昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。 これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。 その歩みは、単なる幸運ではなく、長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。 そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。 2025年10月。 長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”へと旅立ちました。 お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。 貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。 華やかな専用機ではない。生まれは一介の貨物機。それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。 まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。 DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。 (マイミー)

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【特集、お召し列車 Vol.4】DD51形842号機<貨物機からお召し牽引機へ、異例の出世を遂...

1971年、日立製作所で落成したDD51形842号機。 誕生時の姿は、お召し列車とはまったく無縁でした。842号機は暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載しない800番台として製造され、貨物列車牽引用を目的としたグループの1両です。 SG関連機器やボイラーを省略したことで約6トンの軽量化が図られ、重量配分の見直しに合わせて中間台車やブレーキ装置も専用仕様となるなど、旅客用とは異なる設計が施されました。 つまり、生まれながらの"貨物機"。 本来であれば、お召し列車を牽引する存在ではありません。 しかし、その運命は1973年の千葉国体で大きく変わります。この年、お召し列車の牽引機に抜擢された842号機は、お召し列車専用の整備を受け、一躍”特別なDD51”となりました。 最大の特徴となったのが、ランボード側面に取り付けられたステンレスの飾り帯です。さらにデッキ手すりや煙突カバーにもステンレス化が施され、一般機とは一線を画す風格をまといます。 その後はJR東日本高崎第一機関区(後のぐんま車両センター)に所属し、DD51形895号機とともにイベント列車や団体列車などでも活躍。 鉄道ファンには”お召し仕様のDD51”として広く知られる存在となりました。 しかし、842号機の真価は、その美しい姿だけではありません。 一度きりで終わると思われた栄誉が、平成になって再び巡ってきたのです。 1997年、岩手県で開催された全国豊かな海づくり大会。 山田線・釜石線で運転されたお召し列車の牽引機に選ばれたのは、地元配置機ではなく、高崎から送り込まれたDD51形842号機でした。 さらに2001年の宮城国体では東北本線・石巻線・気仙沼線で。2002年の全国植樹祭では陸羽西線・羽越本線で。 いずれのお召し列車でも、その大役を任されたのは842号機でした。一般貨物機として誕生しながら、昭和と平成を通じて4度ものお召し列車を牽引。 これはDD51形の中でも極めて異例の経歴であり、まさに”一般機からお召し機へ出世した機関車”と言っても過言ではありません。 その歩みは、単なる幸運ではなく、長年積み重ねてきた信頼と実績があったからこそ築かれたものだったのでしょう。 そして、そんな842号機にも終焉の時が訪れます。 2025年10月。 長年活躍した高崎を離れ、多くの名機が最後を迎えてきた”終焉の地・長野総合車両センター(通称NN)”へと旅立ちました。 お召し列車牽引機の証でもあったランボードのステンレス飾り帯や、デッキ手すり・煙突カバーなどの特別装飾は最後まで取り外されることなく、その誇りをまとったまま廃車となりました。 貨物機として誕生し、お召し列車という鉄道最高峰の任務を幾度となく務め上げたDD51形842号機。 華やかな専用機ではない。生まれは一介の貨物機。それでも、その走りでお召し列車牽引機へと上り詰めたDD51形842号機。 まさに、「生まれ持った運命を変えた機関車」。 DD51形842号機は、今なお多くの鉄道ファンの記憶の中で、誇り高き”お召し機”として生き続けています。 (マイミー)

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【憧れのブルトレ Vol.7】工夫が光る、レガートシート車の登場(1990年)

【憧れのブルトレ Vol.7】工夫が光る、レガートシート車の登場(1990年)

<各社、寝台列車に対する考え方が多様化していった時期> レガートシート車と言えば、寝台特急「あかつき」に組み込まれた普通車指定席の、それ単体で見れば、ブルートレインと言うより、"ムーンライト"、または夜行バス的な要素を持った"寝台列車カジュアル化"の先駆けとも言えますが。 1988年の北斗星や、その後のトワイライトエクスプレスと言ったいわゆる"豪華寝台列車"は1989年に登場、他方、"あかつき"においてレガートシート車を組み込んで運行開始したのが1990年ということを鑑みると、"寝台列車そのものの在り方"について議論が交わされていた年代にあって、一方的に"高付加価値を提供する寝台列車"へとトレンドが集約されていったのではなく一移動手段として、"寝台特急"に持たせる役割に"多様性"が、言い換えるならば"工夫"がなされていった年代と申せましょう。 京阪神~九州間夜行特急の祖にして、最後まで残ったブルートレイン、"あかつき"。 伝統や歴史を頑なに守り続ける"こだわり"より、時代の変化に合わせて、進化し続ける姿勢が"あかつき"の寿命を全うさせたのかもしれません。 最も、国鉄(それを継承するJR)にあって、"寝台特急"は、歴代優等列車群の中でも、格式高く伝統的な列車とも言え、そういった狭間にあって伝統と革新を調和させつつ未来への足掛かりとして"その一歩"を踏み出したのは。 "国鉄からJRに変わったこと"そのものを象徴する出来事の"ひとつ"だったと捉えています。 (Mr.DIMER編集長)

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【憧れのブルトレ Vol.7】工夫が光る、レガートシート車の登場(1990年)

<各社、寝台列車に対する考え方が多様化していった時期> レガートシート車と言えば、寝台特急「あかつき」に組み込まれた普通車指定席の、それ単体で見れば、ブルートレインと言うより、"ムーンライト"、または夜行バス的な要素を持った"寝台列車カジュアル化"の先駆けとも言えますが。 1988年の北斗星や、その後のトワイライトエクスプレスと言ったいわゆる"豪華寝台列車"は1989年に登場、他方、"あかつき"においてレガートシート車を組み込んで運行開始したのが1990年ということを鑑みると、"寝台列車そのものの在り方"について議論が交わされていた年代にあって、一方的に"高付加価値を提供する寝台列車"へとトレンドが集約されていったのではなく一移動手段として、"寝台特急"に持たせる役割に"多様性"が、言い換えるならば"工夫"がなされていった年代と申せましょう。 京阪神~九州間夜行特急の祖にして、最後まで残ったブルートレイン、"あかつき"。 伝統や歴史を頑なに守り続ける"こだわり"より、時代の変化に合わせて、進化し続ける姿勢が"あかつき"の寿命を全うさせたのかもしれません。 最も、国鉄(それを継承するJR)にあって、"寝台特急"は、歴代優等列車群の中でも、格式高く伝統的な列車とも言え、そういった狭間にあって伝統と革新を調和させつつ未来への足掛かりとして"その一歩"を踏み出したのは。 "国鉄からJRに変わったこと"そのものを象徴する出来事の"ひとつ"だったと捉えています。 (Mr.DIMER編集長)

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【特集、お召し列車Vol.3】EF58形60号機・61号<ザ・ロイヤルエンジン>

【特集、お召し列車Vol.3】EF58形60号機・61号<ザ・ロイヤルエンジン>

お召し列車専用機として、初めてその使命を与えられた機関車。それが、EF58形60号機と61号機でした。 それまでのお召し機は、量産機の中から選び抜かれた機関車。 しかし、この2両だけは違います。 「いつか選ばれる」のではなく、生まれる前からお召し列車を牽くことが決まっていた唯一無二のロイヤルエンジンでした。 一般車にはない数々の特別装備を備え、厳しい試験を何度も繰り返し、ようやく落成。 60号機は東京芝浦電気61号機は日立製作所が製造しました。 当時、お召し列車を牽く機関車を製造することは、日本の技術力を示す国家的プロジェクトとも言える存在。両メーカーとも採算を度外視し、威信を懸けてこの2両を完成させたと言われています。 本務機は61号機。 予備機は60号機。 たった1号違いの兄弟機でしたが、その後の運命は大きく分かれることになります。 61号機は、お召し列車専従として30年以上にわたり活躍し、100回を超えるお召し列車を牽引したとされています。一方の60号機は、予備機という立場から一般列車にも充当されていました。 そして1967年、一般運用中に事故に遭遇。幸い修復され現場へ復帰したものの、その頃には東海道新幹線の開業によって、お召し列車自体が大きく減少。1973年、60号機はお召し指定を解除されてしまいます。 ここが、2両の命運を分けた瞬間だったのかもしれません。 それでも60号機は現役を続け、1979年、愛知県全国植樹祭のお召し列車では61号機とともに最後のお召し任務を果たしました。 そして1983年5月。 静かに廃車となり、そのまま保存されることなく解体。 ロイヤルエンジンとして生まれながら、その姿を後世へ残すことは叶いませんでした。 一方の61号機は、国鉄分割民営化後もJR東日本へ継承され、お召し列車の象徴として活躍を続けます。 しかし2008年、全般検査で台車枠に修復困難な亀裂が発見され運用を離脱。 その後は車籍を残したまま御料車庫で大切に保管され、2022年、現在の住処である鉄道博物館へ収蔵されました。 生まれた時は、同じ使命を与えられた兄弟機。 しかし、一方は解体され、一方は永久保存される。その差は、わずかな巡り合わせだったのか。 それとも、「本務機」と「予備機」という立場の違いだったのか。 答えは誰にも分かりません。ですが、61号機が今も美しい姿で保存され、多くの人にその歴史を語り続けてくれていること。 それだけは、鉄道ファンとして本当に嬉しく思います。 (マイミー)

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【特集、お召し列車Vol.3】EF58形60号機・61号<ザ・ロイヤルエンジン>

お召し列車専用機として、初めてその使命を与えられた機関車。それが、EF58形60号機と61号機でした。 それまでのお召し機は、量産機の中から選び抜かれた機関車。 しかし、この2両だけは違います。 「いつか選ばれる」のではなく、生まれる前からお召し列車を牽くことが決まっていた唯一無二のロイヤルエンジンでした。 一般車にはない数々の特別装備を備え、厳しい試験を何度も繰り返し、ようやく落成。 60号機は東京芝浦電気61号機は日立製作所が製造しました。 当時、お召し列車を牽く機関車を製造することは、日本の技術力を示す国家的プロジェクトとも言える存在。両メーカーとも採算を度外視し、威信を懸けてこの2両を完成させたと言われています。 本務機は61号機。 予備機は60号機。 たった1号違いの兄弟機でしたが、その後の運命は大きく分かれることになります。 61号機は、お召し列車専従として30年以上にわたり活躍し、100回を超えるお召し列車を牽引したとされています。一方の60号機は、予備機という立場から一般列車にも充当されていました。 そして1967年、一般運用中に事故に遭遇。幸い修復され現場へ復帰したものの、その頃には東海道新幹線の開業によって、お召し列車自体が大きく減少。1973年、60号機はお召し指定を解除されてしまいます。 ここが、2両の命運を分けた瞬間だったのかもしれません。 それでも60号機は現役を続け、1979年、愛知県全国植樹祭のお召し列車では61号機とともに最後のお召し任務を果たしました。 そして1983年5月。 静かに廃車となり、そのまま保存されることなく解体。 ロイヤルエンジンとして生まれながら、その姿を後世へ残すことは叶いませんでした。 一方の61号機は、国鉄分割民営化後もJR東日本へ継承され、お召し列車の象徴として活躍を続けます。 しかし2008年、全般検査で台車枠に修復困難な亀裂が発見され運用を離脱。 その後は車籍を残したまま御料車庫で大切に保管され、2022年、現在の住処である鉄道博物館へ収蔵されました。 生まれた時は、同じ使命を与えられた兄弟機。 しかし、一方は解体され、一方は永久保存される。その差は、わずかな巡り合わせだったのか。 それとも、「本務機」と「予備機」という立場の違いだったのか。 答えは誰にも分かりません。ですが、61号機が今も美しい姿で保存され、多くの人にその歴史を語り続けてくれていること。 それだけは、鉄道ファンとして本当に嬉しく思います。 (マイミー)

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【夏のレチの大仕事】

【夏のレチの大仕事】

編集長の冷房記事を読んでいて、今回は少し裏側のお話を。 実は、夏の冷房管理はレチ(車掌)の大事な仕事のひとつでした。 最近の車両はデジタル化が進み、ほとんどが自動制御。 設定を変更することもほぼなく、編成全体の車内温度もモニターで確認できるため、極端な事がない限り冷房操作をする機会はほとんどありません。 しかし、昭和の車両はそうはいきません。 冷房の効き具合は車両ごとの個体差が非常に大きく、同じ編成でも「全然効かない車両」と「冷蔵庫みたいに冷える車両」が普通に混在していました。 そして旧型車で本当によくあったのが、 「寒い!」 「暑い!」 という同時陳情。 同じ車両なのに前では「寒い」、後ろでは「暑い」。 レチ泣かせの定番です(笑)。 そこで登場するのが、名付けて… “エアコン操作をしたフリ作戦”。 ファンデリアを切ってみたり、入れてみたり。 実際には大きく変えられることは少なく、それくらいしかできないことも多かったんです。 一方、自動制御の車両になると、 「自動設定なので…」 で説明できるようになり、精神的には少し楽になりました。 とはいえ、特に旧型車は明らかに冷えすぎている車両など、冷房のNFBを一度切って様子を見て、しばらくして復位させることもありました。 ただ、乗車率が高い日は本当に神経を使います。 暑すぎてもダメ、冷えすぎてもダメ。 体調を崩されるお客様や、熱中症のリスクもあるため、車内の温度管理には常に気を配っていました。 ドア扱いや放送だけがレチの仕事ではありません。 お客様が少しでも快適に過ごせるよう、見えないところでも気を遣っていたのです。 これから本格的な夏。 皆さんも、熱中症や車内での冷えすぎには十分お気をつけ下さい。 (マイミー)

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【夏のレチの大仕事】

編集長の冷房記事を読んでいて、今回は少し裏側のお話を。 実は、夏の冷房管理はレチ(車掌)の大事な仕事のひとつでした。 最近の車両はデジタル化が進み、ほとんどが自動制御。 設定を変更することもほぼなく、編成全体の車内温度もモニターで確認できるため、極端な事がない限り冷房操作をする機会はほとんどありません。 しかし、昭和の車両はそうはいきません。 冷房の効き具合は車両ごとの個体差が非常に大きく、同じ編成でも「全然効かない車両」と「冷蔵庫みたいに冷える車両」が普通に混在していました。 そして旧型車で本当によくあったのが、 「寒い!」 「暑い!」 という同時陳情。 同じ車両なのに前では「寒い」、後ろでは「暑い」。 レチ泣かせの定番です(笑)。 そこで登場するのが、名付けて… “エアコン操作をしたフリ作戦”。 ファンデリアを切ってみたり、入れてみたり。 実際には大きく変えられることは少なく、それくらいしかできないことも多かったんです。 一方、自動制御の車両になると、 「自動設定なので…」 で説明できるようになり、精神的には少し楽になりました。 とはいえ、特に旧型車は明らかに冷えすぎている車両など、冷房のNFBを一度切って様子を見て、しばらくして復位させることもありました。 ただ、乗車率が高い日は本当に神経を使います。 暑すぎてもダメ、冷えすぎてもダメ。 体調を崩されるお客様や、熱中症のリスクもあるため、車内の温度管理には常に気を配っていました。 ドア扱いや放送だけがレチの仕事ではありません。 お客様が少しでも快適に過ごせるよう、見えないところでも気を遣っていたのです。 これから本格的な夏。 皆さんも、熱中症や車内での冷えすぎには十分お気をつけ下さい。 (マイミー)

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【2026年の梅雨明け】"弱"ではなく"強冷房車"が欲しい…

【2026年の梅雨明け】"弱"ではなく"強冷房車"が欲しい…

<暑いを越えて、もはや"ヤケド"、酷暑の日本列島> 気象庁の発表によると、2026年は九州北部・中国・近畿地方が7月8日、既に梅雨明けしています。 残るは九州南部、四国、東海、関東甲信、北陸、東北南部・北部で"7月中下旬にかけて"梅雨明けの予定。 梅雨ドキ、"ジメジメ"と"暑さ"が混ざることによる"不快度指数"はトンデモなく跳ね上がりますが。 梅雨が明けると今度は皮膚を刺すような暑さ、熱さに切り替わってしまい、"あ、今年もまたこの季節がやってきた…"ともはや覚悟を決めなければなりません。 さて、通勤や通学、お買い物など、普段から鉄道を使うには、駅まで歩かなければなりません。 階段を登ったり、降りたりしているうちに汗がだくだく、、、ホームでの列車待ちは無風状態になるため、ブワっと汗が吹き出します… んー、今こうして書いているのが涼しい冷房の効いたお部屋だからいいけど… 想像するだけであのベタベタ感を思い出し、"虫を噛み潰したような顔"で執筆しています。 さて、"まもなく電車が到着します"の駅放送で、ようやく涼しい車内が待っている。と期待を膨らませて列車内へ… 普段ならあの、キンッ、とした涼しさに癒されるのですが。 どうも今日のところはちとヌルい… 窓を見たら"弱冷房車"と書いてある。これは、普通冷房車に移動しなくては。 もはや"猛暑ではない夏は来ない"であろう、日本列島。 弱冷房車ではなく必要なのは"強冷房車"では… とは言え、"暑すぎる"のと"寒すぎる"のとではまだ暑すぎる方が我慢できそうな気がします。 混雑度に合わせて、乗務員さんが冷暖房の調整はなさっていると思えば贅沢は言えません。 最近では、地下鉄ホーム~コンコースの冷房化が行われる例もあり、心からありがたいと感謝しています。 (Mr.DIMER編集長)

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【2026年の梅雨明け】"弱"ではなく"強冷房車"が欲しい…

<暑いを越えて、もはや"ヤケド"、酷暑の日本列島> 気象庁の発表によると、2026年は九州北部・中国・近畿地方が7月8日、既に梅雨明けしています。 残るは九州南部、四国、東海、関東甲信、北陸、東北南部・北部で"7月中下旬にかけて"梅雨明けの予定。 梅雨ドキ、"ジメジメ"と"暑さ"が混ざることによる"不快度指数"はトンデモなく跳ね上がりますが。 梅雨が明けると今度は皮膚を刺すような暑さ、熱さに切り替わってしまい、"あ、今年もまたこの季節がやってきた…"ともはや覚悟を決めなければなりません。 さて、通勤や通学、お買い物など、普段から鉄道を使うには、駅まで歩かなければなりません。 階段を登ったり、降りたりしているうちに汗がだくだく、、、ホームでの列車待ちは無風状態になるため、ブワっと汗が吹き出します… んー、今こうして書いているのが涼しい冷房の効いたお部屋だからいいけど… 想像するだけであのベタベタ感を思い出し、"虫を噛み潰したような顔"で執筆しています。 さて、"まもなく電車が到着します"の駅放送で、ようやく涼しい車内が待っている。と期待を膨らませて列車内へ… 普段ならあの、キンッ、とした涼しさに癒されるのですが。 どうも今日のところはちとヌルい… 窓を見たら"弱冷房車"と書いてある。これは、普通冷房車に移動しなくては。 もはや"猛暑ではない夏は来ない"であろう、日本列島。 弱冷房車ではなく必要なのは"強冷房車"では… とは言え、"暑すぎる"のと"寒すぎる"のとではまだ暑すぎる方が我慢できそうな気がします。 混雑度に合わせて、乗務員さんが冷暖房の調整はなさっていると思えば贅沢は言えません。 最近では、地下鉄ホーム~コンコースの冷房化が行われる例もあり、心からありがたいと感謝しています。 (Mr.DIMER編集長)

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