Mr.DIMER Journal
【特集、お召し列車Vol.2】EF64形77号機<悲運を辿った牽引機>
「国鉄最後のお召し列車」を牽引した"EF64形77号機"。 同じお召し列車の本務機という栄誉を受けながらも、その運命はC57形1号機とは対照的なものとなりました。 1986年10月、かいじ国体の開会式にご出席される昭和天皇がお乗りになったお召し列車。その牽引機に選ばれたのが、八王子機関区所属のEF64形77号機でした。 国鉄最後のお召し列車という歴史的任務を見事に果たした77号機。しかし、その栄光からわずか半年後、国鉄は分割民営化。 時代はJRへと移り変わり、お召し列車を取り巻く環境も大きく変化していきます。 EF64形77号機は、その後も一般運用で活躍を続けましたが、お召し列車を牽引したという輝かしい実績だけで保存されることはありませんでした。 EF64形は量産形式であり、同形式が数多く存在したことに加え、電気機関車は保存・維持に多くの費用や設備を必要とします。 EF64形77号機が解体に至った理由について公式な説明はありません。しかし、保存車両全体にかかる維持管理費や保管場所の確保、車両の状態など、さまざまな要素を総合的に判断した結果だったと考えるのが自然ではないかと思います。 歴史的価値だけでは、すべての車両を後世へ残すことはできない。 それが、保存と解体の判断の難しさですね。 そして77号機は、長らく過ごした稲沢の地で静かにその生涯へ幕を下ろしました。 お召し列車を牽いた機関車たち。 歴史の表舞台で栄光を浴びた機関車もあれば、役目を終えると静かに姿を消した機関車もあります。 それもまた、日本の鉄道史の現実でした。 次回は、お召し電気機関車の代名詞ともいえるEF58形61号機。 数あるEF58形の中で、なぜ61号機だけが特別な存在となり、日本を代表する「お召し機」となったのか。 その誕生の背景と、予備機と本務機の歴然たる差を深掘りします。 (マイミー)
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「国鉄最後のお召し列車」を牽引した"EF64形77号機"。 同じお召し列車の本務機という栄誉を受けながらも、その運命はC57形1号機とは対照的なものとなりました。 1986年10月、かいじ国体の開会式にご出席される昭和天皇がお乗りになったお召し列車。その牽引機に選ばれたのが、八王子機関区所属のEF64形77号機でした。 国鉄最後のお召し列車という歴史的任務を見事に果たした77号機。しかし、その栄光からわずか半年後、国鉄は分割民営化。 時代はJRへと移り変わり、お召し列車を取り巻く環境も大きく変化していきます。 EF64形77号機は、その後も一般運用で活躍を続けましたが、お召し列車を牽引したという輝かしい実績だけで保存されることはありませんでした。 EF64形は量産形式であり、同形式が数多く存在したことに加え、電気機関車は保存・維持に多くの費用や設備を必要とします。 EF64形77号機が解体に至った理由について公式な説明はありません。しかし、保存車両全体にかかる維持管理費や保管場所の確保、車両の状態など、さまざまな要素を総合的に判断した結果だったと考えるのが自然ではないかと思います。 歴史的価値だけでは、すべての車両を後世へ残すことはできない。 それが、保存と解体の判断の難しさですね。 そして77号機は、長らく過ごした稲沢の地で静かにその生涯へ幕を下ろしました。 お召し列車を牽いた機関車たち。 歴史の表舞台で栄光を浴びた機関車もあれば、役目を終えると静かに姿を消した機関車もあります。 それもまた、日本の鉄道史の現実でした。 次回は、お召し電気機関車の代名詞ともいえるEF58形61号機。 数あるEF58形の中で、なぜ61号機だけが特別な存在となり、日本を代表する「お召し機」となったのか。 その誕生の背景と、予備機と本務機の歴然たる差を深掘りします。 (マイミー)
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【形式のインフレ】"330番代"はJR東日本が是が非でも獲る?!
国鉄時代に制定された形式称号規則は、その規則自体を基(もと)としつつも未使用数字を開放したり例えばJR東日本のように、形式冒頭へEを付ける、四国では私鉄形式のように4桁とするなど工夫し今日に至ります。 0から9までの数字とそれを3桁で表現してしまうには、当然、車両の世代交代が進めば払底は見えていて、"形式称号規則の万能さ"には敬意を示しつつも、限界はある。と言うものです。 特に十の位、"通勤形"へと割り当てられているのは"0"のみであり、これら通勤形属性の車種を多く保有するJR東日本は規則の定義を早々に変更しながら形式付与を工夫している印象があります。 ■飛ばされた"219"JR東日本を代表する通勤形電車(一般形)の形式は首都圏を中心に活躍するE231系、E233系辺りかと思います。 形式としては直前に生産されていたE217系の後継となるわけですから"E219系"でも良かったか?という持論をもちつつ、 新型車両に210番代最後の"219"を付番してるうちに「230番代を他社に取られては元も子もない」となって大台(十の位3)を獲りに行ったと言う説もありかなと。 ※220番代はJR西日本が使用していることから十の位は"3"を用いるようになります。(Eを冠すればE221系でもよかったはずですが…) ■異端児E331系の誕生さて、E231系の登場した2000年代、その6年後となる2006年に誕生したE331系の存在を思い出してみましょう。 2006年と言えば、2026年現在、JR東日本最大勢力であるE233系の誕生した年です。 形式目線で見れば、230番代は、E233系までを使用、当時において、"JR東日本の定義する一般形電車"に付与できる形式は235~239までの"余力"がありました。 しかしながら、E331系は、230番代を飛ばし、330番代の冒頭を名乗ることとなります。 特殊な連接構造車故、実験的・試験的要素を踏まえ百の位"2"を一気に"3"まで飛ばした、とも言えますが。 ■だからやっぱり、330番代は"東日本が獲る!?近年"一般形"と括りつつ・近郊形寄りの一般型に130番代・通勤形寄りの一般型に230番代が事実上のすみ分けとなりつつあるJR東日本版、形式称号規則。 百の位"2"及び十の位"3"、すなわち"230番代"は、東日本において事実上、"首都圏・大都市圏向け通勤形"に割り当てると言うこだわり(傾向)がある場合、百の位"2"を払底させた後、現時点で唯一残る直流型を示す300番代と一般型電車向けの30番代は残しておきたい。 では、JR東日本・試作車たる次世代電車には"331系"を符号して330番代をロックしておこうじゃないかと。そう言う塩梅はどうかなと考えたわけです。 本回も私の主観だけで述べてしまったものの。 地方都市圏向けに増殖する"あの車両"が、237や239ではなく"131"を名乗るものですから..そう妄想したくて仕方がないのです。(※単にE129系の後継ってだけだと思いますが…) 最も、E331系にあっては。 国鉄時代において量産型の車両と一部試験的、試作的要素を詰め込んだ車両に300番代を符号することは、301系での前例があったため、単にそれを踏襲したとも捉えられます。 (Mr.DIMER編集長)
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国鉄時代に制定された形式称号規則は、その規則自体を基(もと)としつつも未使用数字を開放したり例えばJR東日本のように、形式冒頭へEを付ける、四国では私鉄形式のように4桁とするなど工夫し今日に至ります。 0から9までの数字とそれを3桁で表現してしまうには、当然、車両の世代交代が進めば払底は見えていて、"形式称号規則の万能さ"には敬意を示しつつも、限界はある。と言うものです。 特に十の位、"通勤形"へと割り当てられているのは"0"のみであり、これら通勤形属性の車種を多く保有するJR東日本は規則の定義を早々に変更しながら形式付与を工夫している印象があります。 ■飛ばされた"219"JR東日本を代表する通勤形電車(一般形)の形式は首都圏を中心に活躍するE231系、E233系辺りかと思います。 形式としては直前に生産されていたE217系の後継となるわけですから"E219系"でも良かったか?という持論をもちつつ、 新型車両に210番代最後の"219"を付番してるうちに「230番代を他社に取られては元も子もない」となって大台(十の位3)を獲りに行ったと言う説もありかなと。 ※220番代はJR西日本が使用していることから十の位は"3"を用いるようになります。(Eを冠すればE221系でもよかったはずですが…) ■異端児E331系の誕生さて、E231系の登場した2000年代、その6年後となる2006年に誕生したE331系の存在を思い出してみましょう。 2006年と言えば、2026年現在、JR東日本最大勢力であるE233系の誕生した年です。 形式目線で見れば、230番代は、E233系までを使用、当時において、"JR東日本の定義する一般形電車"に付与できる形式は235~239までの"余力"がありました。 しかしながら、E331系は、230番代を飛ばし、330番代の冒頭を名乗ることとなります。 特殊な連接構造車故、実験的・試験的要素を踏まえ百の位"2"を一気に"3"まで飛ばした、とも言えますが。 ■だからやっぱり、330番代は"東日本が獲る!?近年"一般形"と括りつつ・近郊形寄りの一般型に130番代・通勤形寄りの一般型に230番代が事実上のすみ分けとなりつつあるJR東日本版、形式称号規則。 百の位"2"及び十の位"3"、すなわち"230番代"は、東日本において事実上、"首都圏・大都市圏向け通勤形"に割り当てると言うこだわり(傾向)がある場合、百の位"2"を払底させた後、現時点で唯一残る直流型を示す300番代と一般型電車向けの30番代は残しておきたい。 では、JR東日本・試作車たる次世代電車には"331系"を符号して330番代をロックしておこうじゃないかと。そう言う塩梅はどうかなと考えたわけです。 本回も私の主観だけで述べてしまったものの。 地方都市圏向けに増殖する"あの車両"が、237や239ではなく"131"を名乗るものですから..そう妄想したくて仕方がないのです。(※単にE129系の後継ってだけだと思いますが…) 最も、E331系にあっては。 国鉄時代において量産型の車両と一部試験的、試作的要素を詰め込んだ車両に300番代を符号することは、301系での前例があったため、単にそれを踏襲したとも捉えられます。 (Mr.DIMER編集長)
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【列車紹介】HC85系 特急「ひだ」(JR東海・JR西日本 東海道本線・高山本線)
おはようございます。名古屋・大阪~高山・飛驒古川・富山間を東海道本線・高山本線経由で運転する特急「ひだ」。 列車愛称は、高山市を中心とする岐阜県北部の旧国名「飛騨国」に由来しています。 使用車両はHC85系。 ハイブリッド方式(電気式気動車)を採用した新型車両で、2022年7月から段階的に投入が進み、2023年3月のダイヤ改正で先代キハ85系からの置き換えが完了しました。 列車は、グリーン車・普通車指定席・普通車自由席で構成される4両・6両編成を基本に、多客期には複数編成を増結して運転されます。 ※名古屋駅発着列車は、岐阜駅でスイッチバックを行うため、名古屋~岐阜間は座席が進行方向と反対向きになります。 (Mr.DIMER編集長)
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おはようございます。名古屋・大阪~高山・飛驒古川・富山間を東海道本線・高山本線経由で運転する特急「ひだ」。 列車愛称は、高山市を中心とする岐阜県北部の旧国名「飛騨国」に由来しています。 使用車両はHC85系。 ハイブリッド方式(電気式気動車)を採用した新型車両で、2022年7月から段階的に投入が進み、2023年3月のダイヤ改正で先代キハ85系からの置き換えが完了しました。 列車は、グリーン車・普通車指定席・普通車自由席で構成される4両・6両編成を基本に、多客期には複数編成を増結して運転されます。 ※名古屋駅発着列車は、岐阜駅でスイッチバックを行うため、名古屋~岐阜間は座席が進行方向と反対向きになります。 (Mr.DIMER編集長)
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【特集、お召し列車Vol.1】C57形1号機<命運を分けた牽引機>
国鉄時代。皇室のご乗車される「お召し列車」。 その牽引を任されることは、機関車にとって最高峰の栄誉でした。しかし、お召し列車を牽引した機関車たちの運命は様々です。 保存された機関車。今も現役で走り続ける機関車。そして、静かにその役目を終えた機関車。 同じ栄誉を受けながら、なぜ命運は分かれたのでしょうか。今回から、その背景を一両ずつ紐解いていきます。 第1回は、試運転スジが公開され話題となっているC57形1号機です。 昭和12(1937)年に誕生したC57形1号機は、羽越本線などで活躍した後、昭和47(1972)年に定期運用を終了しました。 ちょうどその年は鉄道開業100周年。 国鉄は、その記念事業として梅小路蒸気機関車館を開設し、後世へ伝えるべき蒸気機関車を全国から選定します。C57形1号機は、トップナンバーであることに加え、保存状態の良さも評価され、保存機として選ばれました。 そして保存が決まった直後、新潟県で開催された全国植樹祭のお召し列車牽引機に抜擢。 特別整備を受け、新津~村上間のお召し列車を牽引しました。これがC57形1号機にとって、最初で最後のお召し列車となります。 その後は梅小路で保存され、昭和54(1979)年には「SLやまぐち号」の牽引機として動態復元。 以来40年以上にわたり、日本を代表する動態保存機として数多くの人々を魅了してきました。しかし、その道のりは決して平坦ではありません。 幾度となく大規模検査や修繕を重ね、2020年には運転中の不具合により長期離脱。一時は復活を危ぶむ声も上がりました。 それでも技術者たちは諦めることなく整備を続け、約5年半に及ぶ修繕を経て再び火が入り、現在は本線復帰へ向けた試運転が始まっています。 半世紀以上前に誕生した一両の蒸気機関車が、多くの人々の想いと技術によって今も命をつないでいる。 それこそが、C57形1号機が今日まで走り続ける理由なのかもしれません。 一方で、お召し列車を牽引したという同じ栄誉を持ちながら、保存されることなく解体された機関車も存在します。 その違いは何だったのか。 次回は、「国鉄最後のお召し列車」を牽引したEF64形77号機。同じお召し列車牽引機でありながら、なぜC57形1号機とは異なる運命をたどったのか。 その背景を、探っていきたいと思います。 (マイミー)
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国鉄時代。皇室のご乗車される「お召し列車」。 その牽引を任されることは、機関車にとって最高峰の栄誉でした。しかし、お召し列車を牽引した機関車たちの運命は様々です。 保存された機関車。今も現役で走り続ける機関車。そして、静かにその役目を終えた機関車。 同じ栄誉を受けながら、なぜ命運は分かれたのでしょうか。今回から、その背景を一両ずつ紐解いていきます。 第1回は、試運転スジが公開され話題となっているC57形1号機です。 昭和12(1937)年に誕生したC57形1号機は、羽越本線などで活躍した後、昭和47(1972)年に定期運用を終了しました。 ちょうどその年は鉄道開業100周年。 国鉄は、その記念事業として梅小路蒸気機関車館を開設し、後世へ伝えるべき蒸気機関車を全国から選定します。C57形1号機は、トップナンバーであることに加え、保存状態の良さも評価され、保存機として選ばれました。 そして保存が決まった直後、新潟県で開催された全国植樹祭のお召し列車牽引機に抜擢。 特別整備を受け、新津~村上間のお召し列車を牽引しました。これがC57形1号機にとって、最初で最後のお召し列車となります。 その後は梅小路で保存され、昭和54(1979)年には「SLやまぐち号」の牽引機として動態復元。 以来40年以上にわたり、日本を代表する動態保存機として数多くの人々を魅了してきました。しかし、その道のりは決して平坦ではありません。 幾度となく大規模検査や修繕を重ね、2020年には運転中の不具合により長期離脱。一時は復活を危ぶむ声も上がりました。 それでも技術者たちは諦めることなく整備を続け、約5年半に及ぶ修繕を経て再び火が入り、現在は本線復帰へ向けた試運転が始まっています。 半世紀以上前に誕生した一両の蒸気機関車が、多くの人々の想いと技術によって今も命をつないでいる。 それこそが、C57形1号機が今日まで走り続ける理由なのかもしれません。 一方で、お召し列車を牽引したという同じ栄誉を持ちながら、保存されることなく解体された機関車も存在します。 その違いは何だったのか。 次回は、「国鉄最後のお召し列車」を牽引したEF64形77号機。同じお召し列車牽引機でありながら、なぜC57形1号機とは異なる運命をたどったのか。 その背景を、探っていきたいと思います。 (マイミー)
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【“どこでも走れる”のに、どこにも行かない。】E655系
超ハイグレード車両 E655系という贅沢。お召し列車に充当するために誕生したE655系。 交直流対応、6両1編成のみが製造された超特別な存在です。 一般人でも乗車できる機会はありますが、それは団体専用列車のみ。しかも応募できるのはJR東日本「大人の休日倶楽部」ジパングクラス・ミドルクラス会員限定。 年に数回あるかないかの募集は毎回すぐ埋まり、まさに”幻の列車”となっています。 乗れた方は、本当に幸運と言えるでしょう。しかし、この車両の本当の凄さは豪華さだけではありません。 実は設計段階からJR東日本だけで完結する車両ではなく、日本全国を走ることまで視野に入れて造られています。 交直流対応。狭小トンネルにも対応するパンタグラフ。耐雪・耐寒構造の床下機器。 さらに機関車牽引による客車運転まで想定し、全車にブレーキ管を引き通し、機関車へサービス電源を供給するためのディーゼル発電機まで搭載。 まさに"どこへでも行ける"仕様です。 ところが……ぜーーーんぜん走らない(笑) 営業運転でJR東日本の外へ出た実績は、伊豆急行線程度。試運転では西日本へ入線したこともありますが、その万能性能を活かす場面はほとんどありません。 ここまで徹底して造り込まれた車両なのに、その能力を発揮する機会がほとんどない。 まさに“宝の持ち腐れ”とは、このことではないでしょうか。 近年はお召し列車そのものも運転機会が減少し、E655系を見る機会も年々少なくなっています。 だからこそ思ってしまうのです。 あの美しい漆色の車体が、機関車に引かれ青函トンネルを越え北の大地を駆け抜けたら。山陽本線を駆け抜けたら。四国の山々を背景に走ったら。九州の青い海沿いを走ったら。 きっと全国どこへ行っても話題になるはず。 「どこでも走れる車両」だからこそ、もっと日本中を走る姿を見てみたい。 そんな妄想が膨らんでしまう、唯一無二の超ハイグレード形式E655系。 もっと見てみたいなぁと思う今日この頃です。 (マイミー)
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超ハイグレード車両 E655系という贅沢。お召し列車に充当するために誕生したE655系。 交直流対応、6両1編成のみが製造された超特別な存在です。 一般人でも乗車できる機会はありますが、それは団体専用列車のみ。しかも応募できるのはJR東日本「大人の休日倶楽部」ジパングクラス・ミドルクラス会員限定。 年に数回あるかないかの募集は毎回すぐ埋まり、まさに”幻の列車”となっています。 乗れた方は、本当に幸運と言えるでしょう。しかし、この車両の本当の凄さは豪華さだけではありません。 実は設計段階からJR東日本だけで完結する車両ではなく、日本全国を走ることまで視野に入れて造られています。 交直流対応。狭小トンネルにも対応するパンタグラフ。耐雪・耐寒構造の床下機器。 さらに機関車牽引による客車運転まで想定し、全車にブレーキ管を引き通し、機関車へサービス電源を供給するためのディーゼル発電機まで搭載。 まさに"どこへでも行ける"仕様です。 ところが……ぜーーーんぜん走らない(笑) 営業運転でJR東日本の外へ出た実績は、伊豆急行線程度。試運転では西日本へ入線したこともありますが、その万能性能を活かす場面はほとんどありません。 ここまで徹底して造り込まれた車両なのに、その能力を発揮する機会がほとんどない。 まさに“宝の持ち腐れ”とは、このことではないでしょうか。 近年はお召し列車そのものも運転機会が減少し、E655系を見る機会も年々少なくなっています。 だからこそ思ってしまうのです。 あの美しい漆色の車体が、機関車に引かれ青函トンネルを越え北の大地を駆け抜けたら。山陽本線を駆け抜けたら。四国の山々を背景に走ったら。九州の青い海沿いを走ったら。 きっと全国どこへ行っても話題になるはず。 「どこでも走れる車両」だからこそ、もっと日本中を走る姿を見てみたい。 そんな妄想が膨らんでしまう、唯一無二の超ハイグレード形式E655系。 もっと見てみたいなぁと思う今日この頃です。 (マイミー)
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【ストライプ帯】はドアに"掛かるか"/"否か"
国鉄において初めてオールステンレス車体を採用した形式は205系、その後は211系であり、この際、鋼製車時代から伝統であった"塗料による塗装"は 車体腰部をぐるっと巻くようにストライプのカラーテープと代わって継承しています。 さて、ステンレス車体の採用による路線カラーのストライプ帯化は、この後に登場した国鉄および、JR車においても長らく採用されているわけですが、 本日のお題はこれに関連するところ。 毎度の如く重箱の隅をつつくようなお話で失礼致します。 表題の通り、ストライプ帯はドアに及んでいるか、そうでないか。 205系やそれとほぼ同期に誕生した211系等ステンレス車においては上述の通り、全面塗装ではなく、ストライプ帯を巻くことになったわけですが、この帯、"側面乗降ドア部分"への貼り付けは省略されています。 すなわち、ドア間のみストライプ帯が巻かれており、ドア部分は"無地"。 ご感想はと問われれば、"よく言えば、メリハリがある""悪く言うと、途切れている"。 最も機能面で捉えるに"乗り口が一目瞭然"と言うこと。乗客にとっては一つの目印のようなもので、親切だったのかもしれません。 一方、ここ最近の首都圏の通勤型電車に注目してみると例えばJR東日本のE233系は、ドア部分にまで帯が巻かれていることが判ります。 ドア間の間欠がなく、統一感ある見た目が美しい。 登場の時系列が前後しますが、JR西日本の223系、225系に目を向けてみてもストライプ帯は途切れなし。 過去の美的感覚と現代のソレの差、と言われればそれまでですが、どのような経緯や思想があって 帯は切欠くか、連続させるか、決めていたのでしょうか? ステンレス車において。 と述べたものの鋼製車でも同様の事例は多く見られました。それも時代に関わらずです。 ストライプ帯がドアは省略されているデザインもあれば、途切れることなしに"繋がり帯"もある… 編集長個人の所感で恐縮ながら... ホワイト調をベースに青帯といえば パッと思い浮かぶのが小田急と常磐線(415系時代)。 それでも小田急は途切れなし、415系はドア間欠タイプ、 同じような色合いなのにこの差で明確に小田急色か常磐線色か、認識できるほどインパクトを持っていたように思えます。 この話、色味も車体も違うので全く比較にならないですが。 ところで先日、執筆の下書きを九州在住の友人に見せていたところ、「これ学生時代通学で毎日乗ってた。」 と小田急5000形を指差していってたので、まあ"非鉄"にはそんなものか。と思った次第です。 (Mr.DIMER編集長)
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国鉄において初めてオールステンレス車体を採用した形式は205系、その後は211系であり、この際、鋼製車時代から伝統であった"塗料による塗装"は 車体腰部をぐるっと巻くようにストライプのカラーテープと代わって継承しています。 さて、ステンレス車体の採用による路線カラーのストライプ帯化は、この後に登場した国鉄および、JR車においても長らく採用されているわけですが、 本日のお題はこれに関連するところ。 毎度の如く重箱の隅をつつくようなお話で失礼致します。 表題の通り、ストライプ帯はドアに及んでいるか、そうでないか。 205系やそれとほぼ同期に誕生した211系等ステンレス車においては上述の通り、全面塗装ではなく、ストライプ帯を巻くことになったわけですが、この帯、"側面乗降ドア部分"への貼り付けは省略されています。 すなわち、ドア間のみストライプ帯が巻かれており、ドア部分は"無地"。 ご感想はと問われれば、"よく言えば、メリハリがある""悪く言うと、途切れている"。 最も機能面で捉えるに"乗り口が一目瞭然"と言うこと。乗客にとっては一つの目印のようなもので、親切だったのかもしれません。 一方、ここ最近の首都圏の通勤型電車に注目してみると例えばJR東日本のE233系は、ドア部分にまで帯が巻かれていることが判ります。 ドア間の間欠がなく、統一感ある見た目が美しい。 登場の時系列が前後しますが、JR西日本の223系、225系に目を向けてみてもストライプ帯は途切れなし。 過去の美的感覚と現代のソレの差、と言われればそれまでですが、どのような経緯や思想があって 帯は切欠くか、連続させるか、決めていたのでしょうか? ステンレス車において。 と述べたものの鋼製車でも同様の事例は多く見られました。それも時代に関わらずです。 ストライプ帯がドアは省略されているデザインもあれば、途切れることなしに"繋がり帯"もある… 編集長個人の所感で恐縮ながら... ホワイト調をベースに青帯といえば パッと思い浮かぶのが小田急と常磐線(415系時代)。 それでも小田急は途切れなし、415系はドア間欠タイプ、 同じような色合いなのにこの差で明確に小田急色か常磐線色か、認識できるほどインパクトを持っていたように思えます。 この話、色味も車体も違うので全く比較にならないですが。 ところで先日、執筆の下書きを九州在住の友人に見せていたところ、「これ学生時代通学で毎日乗ってた。」 と小田急5000形を指差していってたので、まあ"非鉄"にはそんなものか。と思った次第です。 (Mr.DIMER編集長)
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