Mr.DIMER Journal
【特集、去り行く東海顔 vol.11】"たった2両のみ"製造、473系
1962年、金沢地区向け交流60Hz対応、 交直両用急行型電車として誕生した471系の 出力強化版として、1965年に登場した473系。 同車の東北本線急行電車、常磐線準急列車向け50Hzバージョン"453系"は、 電動車21ユニット42両の製造がなされた一方で、 473系に至っては程なく、 抑速ブレーキ搭載の 475系電車へ製造が移行したため、 1ユニット2両のみの製造に留まりました。 しかも、21年後の1986年には、近郊型車両への改造により消滅した、 少数派かつ、短命な形式だったと申せましょう。 本日のサムネイルは、413系 B11編成。 473系とどう関係するのか?というお話ですが、 これは、1986年に行われた413系への改造により組成された"第2の人(車)生"の姿。 急行型車両の晩年は、格下げ運用や、近郊型車両への改造により、 新たな活躍の場を与えられ、 ほかの車両と同様の処置を受けましたが、 473系を種車とした413系に限り、100番台を名乗っていました。 B11編成は、クハ455-702と、 この希少な473系から改造された413系100番台の組み合わせで、 趣味深い車両の一つだったと言えます。 当該編成は、 2022年9月に廃車回送されました。
【特集、去り行く東海顔 vol.11】"たった2両のみ"製造、473系
1962年、金沢地区向け交流60Hz対応、 交直両用急行型電車として誕生した471系の 出力強化版として、1965年に登場した473系。 同車の東北本線急行電車、常磐線準急列車向け50Hzバージョン"453系"は、 電動車21ユニット42両の製造がなされた一方で、 473系に至っては程なく、 抑速ブレーキ搭載の 475系電車へ製造が移行したため、 1ユニット2両のみの製造に留まりました。 しかも、21年後の1986年には、近郊型車両への改造により消滅した、 少数派かつ、短命な形式だったと申せましょう。 本日のサムネイルは、413系 B11編成。 473系とどう関係するのか?というお話ですが、 これは、1986年に行われた413系への改造により組成された"第2の人(車)生"の姿。 急行型車両の晩年は、格下げ運用や、近郊型車両への改造により、 新たな活躍の場を与えられ、 ほかの車両と同様の処置を受けましたが、 473系を種車とした413系に限り、100番台を名乗っていました。 B11編成は、クハ455-702と、 この希少な473系から改造された413系100番台の組み合わせで、 趣味深い車両の一つだったと言えます。 当該編成は、 2022年9月に廃車回送されました。
【特集、去り行く東海顔 vol.10】交直両用の急行型電車…451/471系
451・471・453・473・455・475、そして、457.... 余程これら系列に興味のない限り混乱を来しそうですが、 国鉄時代の名列車群を支えた急行型電車たちです。 商用周波数、走行線区特性に応じた装備等により 複雑になりがちな "交直両用形式"ですが、 401系ら"近郊型電車系列"の場合、 抑速ブレーキを装備していないのに対し、 "急行型電車系列"では、 抑速ブレーキ搭載車までもがラインナップに入る為、 より派生形式が多く、複雑さが深まります。 さて、本日は 153系をベースとした"交直両用版"急行型電車の祖、 451/471系(シリーズ)のご紹介。 ■東海形をベースとした交直両用急行型の登場 1950年代半ば以降の国鉄地方路線においては、 初期コストを低減できる交流電化が推進されました。 これに伴い、 在来の機関車牽引による客車や気動車を用いた急行列車を 電車化すべく、 また、 交流電化区間と、首都圏の直流電化区間に乗り入れることのできる、 "交直両用の急行型電車"が誕生することとなります。 東海形(東海顔)の元祖、 153系直流急行型電車の内装と外装をベースとしている様は、 まさに、153系直流急行型電車の "交直両用版"と申せましょう。 ■交直両用急行型電車ファミリー 同系列の基礎となる451/471系は、 先に登場した、101系、111系、153系の例に漏れず、...
【特集、去り行く東海顔 vol.10】交直両用の急行型電車…451/471系
451・471・453・473・455・475、そして、457.... 余程これら系列に興味のない限り混乱を来しそうですが、 国鉄時代の名列車群を支えた急行型電車たちです。 商用周波数、走行線区特性に応じた装備等により 複雑になりがちな "交直両用形式"ですが、 401系ら"近郊型電車系列"の場合、 抑速ブレーキを装備していないのに対し、 "急行型電車系列"では、 抑速ブレーキ搭載車までもがラインナップに入る為、 より派生形式が多く、複雑さが深まります。 さて、本日は 153系をベースとした"交直両用版"急行型電車の祖、 451/471系(シリーズ)のご紹介。 ■東海形をベースとした交直両用急行型の登場 1950年代半ば以降の国鉄地方路線においては、 初期コストを低減できる交流電化が推進されました。 これに伴い、 在来の機関車牽引による客車や気動車を用いた急行列車を 電車化すべく、 また、 交流電化区間と、首都圏の直流電化区間に乗り入れることのできる、 "交直両用の急行型電車"が誕生することとなります。 東海形(東海顔)の元祖、 153系直流急行型電車の内装と外装をベースとしている様は、 まさに、153系直流急行型電車の "交直両用版"と申せましょう。 ■交直両用急行型電車ファミリー 同系列の基礎となる451/471系は、 先に登場した、101系、111系、153系の例に漏れず、...
【特集、去り行く東海顔 vol.9】わずか半年?"まぼろしの"スカ色。
「横須賀線」を走る車両に、 "クリーム"&"青"へと塗り分けた塗装を「横須賀色」と呼び、 愛称がほぼ通称となった「スカ色」になるわけですが、 私たちの認識する(113系や115系の)スカ色が 登場の最初期だけ、 "湘南色塗分け"の"スカ色"だったことをご存じでしょうか。 本日は、愛すべきMr.DIMER読者の方から頂いたコメントに関連する記事をお届けします。 「幻のスカ色」。 ■The 国鉄色の二大巨塔、湘南色&スカ色 113系(111系)を代表する"国鉄色"といえば、 "湘南色"と上述の"スカ色"ですが、 双方カラーリングは、「塗分け位置」が微妙に異なることを、鉄道ファン界隈であれば、既知の事実であろうかと思います。 湘南色で言う所の"緑の部分の幅"が広く、"オレンジの部分"に当たるクリーム色の幅が、 湘南色のそれと比べて狭く、青色の部分の占有率が増え、重厚感のある見た目です。 長年、"スカ色"として親しまれたカラーリングであり、 最も、鉄道ファンにとっては、この塗分けそのものが"スカ色"でしかないわけですが、 このスカ色が、当時の"新性能電車"に展開されたのは、1965年4月の113系が始まり。 この際、本日のサムネイルのように、 湘南色塗分けの、スカ色が誕生したのです。 最も、この「湘南色塗分けの"スカ色"」は、同年秋口ごろから、現在までに親しまれたスカ色へと変化していくわけです。 ■なぜ塗分けは変更された? この、スカ色の塗分けルールが変更された肝心の理由ですが、 文献を調べられておらず、予測を述べるまでとなり恐縮次第ですが、 写真で比べてもらえれば何となく納得いただけるかも、 湘南色塗分けのスカ色は、膨張色になるクリームの占める部分が広く、さわやかな反面、ぼやっとした印象。 対して、のちの塗分けは、青色が主張しており、"きりっと引き締まった"印象と言えなくもありません。 当時の国鉄当局も、こういった見た目の部分を考慮して、塗分けを変更したのやも、知れません。
【特集、去り行く東海顔 vol.9】わずか半年?"まぼろしの"スカ色。
「横須賀線」を走る車両に、 "クリーム"&"青"へと塗り分けた塗装を「横須賀色」と呼び、 愛称がほぼ通称となった「スカ色」になるわけですが、 私たちの認識する(113系や115系の)スカ色が 登場の最初期だけ、 "湘南色塗分け"の"スカ色"だったことをご存じでしょうか。 本日は、愛すべきMr.DIMER読者の方から頂いたコメントに関連する記事をお届けします。 「幻のスカ色」。 ■The 国鉄色の二大巨塔、湘南色&スカ色 113系(111系)を代表する"国鉄色"といえば、 "湘南色"と上述の"スカ色"ですが、 双方カラーリングは、「塗分け位置」が微妙に異なることを、鉄道ファン界隈であれば、既知の事実であろうかと思います。 湘南色で言う所の"緑の部分の幅"が広く、"オレンジの部分"に当たるクリーム色の幅が、 湘南色のそれと比べて狭く、青色の部分の占有率が増え、重厚感のある見た目です。 長年、"スカ色"として親しまれたカラーリングであり、 最も、鉄道ファンにとっては、この塗分けそのものが"スカ色"でしかないわけですが、 このスカ色が、当時の"新性能電車"に展開されたのは、1965年4月の113系が始まり。 この際、本日のサムネイルのように、 湘南色塗分けの、スカ色が誕生したのです。 最も、この「湘南色塗分けの"スカ色"」は、同年秋口ごろから、現在までに親しまれたスカ色へと変化していくわけです。 ■なぜ塗分けは変更された? この、スカ色の塗分けルールが変更された肝心の理由ですが、 文献を調べられておらず、予測を述べるまでとなり恐縮次第ですが、 写真で比べてもらえれば何となく納得いただけるかも、 湘南色塗分けのスカ色は、膨張色になるクリームの占める部分が広く、さわやかな反面、ぼやっとした印象。 対して、のちの塗分けは、青色が主張しており、"きりっと引き締まった"印象と言えなくもありません。 当時の国鉄当局も、こういった見た目の部分を考慮して、塗分けを変更したのやも、知れません。
【特集、去り行く東海顔 vol.8】直流近郊型電車の決定版"111系"
橙と緑色の「湘南色」を纏い、 いわゆる"かぼちゃ電車"の愛称で親しまれた113系は正に、 国鉄直流近郊型電車の決定版でありつつ、また"東海顔家系"の中で最も量産された車両と言えますが、 本日の東海顔特集は、 113系登場の元となった"111系"のご紹介。 ■401系に続く近郊型電車の直流版 111系。 1962年、153系を基とする"東海顔"をベースとして、 401系で初採用された"片側両開き3ドア構造"を持つ、 今日の直流近郊型電車に続くまでの基本となる体系を構築した、 国鉄型車両を語る上で外すことのできない形式です。 国鉄新性能電車群の一つとして数えられ、 "新性能電車向け"に初めて採用された電動機、MT46系モーターを搭載しました。 ■113系へのバトンタッチ 電動車を含む111系としては、製造開始からまもない1964年に、 MT46の高出力版となるMT54モーターを搭載した113系へと発展するわけですが、 出力に直接関係のない制御車・中間車は引き続き111系の性能に不足がないため 113系にバトンタッチした後でも実質的に111系列が製造され続けました。 ■111系としての終の住処は四国 上述の通り、113系に紛れ111系は活躍し続けたわけですが、 それはあくまでも111系として、ではなく113系として認知。 「オール111系」 と言える体系は、電動車を含めて1962年から1964年初までに製造された車両で構成された編成を指しますが、 その111系としての最後は四国・瀬戸大橋線での活躍でした。 湘南色がよく似合う111系ですが、 白色の車体に水色のストライプが爽やかな四国色は 異色ながらも良く似合っていました。 ■後継6000系の登場へ 四国においての111系は、当時在籍した他の普通列車向け車両が、 「瀬戸大橋線入線不可」(設備面における安全保安上)...
【特集、去り行く東海顔 vol.8】直流近郊型電車の決定版"111系"
橙と緑色の「湘南色」を纏い、 いわゆる"かぼちゃ電車"の愛称で親しまれた113系は正に、 国鉄直流近郊型電車の決定版でありつつ、また"東海顔家系"の中で最も量産された車両と言えますが、 本日の東海顔特集は、 113系登場の元となった"111系"のご紹介。 ■401系に続く近郊型電車の直流版 111系。 1962年、153系を基とする"東海顔"をベースとして、 401系で初採用された"片側両開き3ドア構造"を持つ、 今日の直流近郊型電車に続くまでの基本となる体系を構築した、 国鉄型車両を語る上で外すことのできない形式です。 国鉄新性能電車群の一つとして数えられ、 "新性能電車向け"に初めて採用された電動機、MT46系モーターを搭載しました。 ■113系へのバトンタッチ 電動車を含む111系としては、製造開始からまもない1964年に、 MT46の高出力版となるMT54モーターを搭載した113系へと発展するわけですが、 出力に直接関係のない制御車・中間車は引き続き111系の性能に不足がないため 113系にバトンタッチした後でも実質的に111系列が製造され続けました。 ■111系としての終の住処は四国 上述の通り、113系に紛れ111系は活躍し続けたわけですが、 それはあくまでも111系として、ではなく113系として認知。 「オール111系」 と言える体系は、電動車を含めて1962年から1964年初までに製造された車両で構成された編成を指しますが、 その111系としての最後は四国・瀬戸大橋線での活躍でした。 湘南色がよく似合う111系ですが、 白色の車体に水色のストライプが爽やかな四国色は 異色ながらも良く似合っていました。 ■後継6000系の登場へ 四国においての111系は、当時在籍した他の普通列車向け車両が、 「瀬戸大橋線入線不可」(設備面における安全保安上)...
【特集、去り行く東海顔 vol.7】東海顔初の"交直両用電車"401・421系
<交流・直流電化区間走行用に誕生、直流153系交直両用版の東海顔> ■国鉄交直両用車は型式名がちょっと複雑? 国鉄型車両においては、 その形式を見るだけで、 電気方式、用途構造などが判別できるようになっていますが、 こと、交直両用電車においては、 商用周波数(50Hz・60Hz)により区分する考えも付加されたことで、 より複雑な形式体系となっています。 本日のお題である東海顔の元祖、153系の交直両用版、 401系・421系も、東日本・常磐線向け交流20kV・50 Hzの401系、 九州(西日本)・鹿児島本線向け交流20kV・60 Hzの421系 に区分されるわけですが、基本的な性能・装備面は同一の車両であり、 上述の通り、商用周波数によって分けられています。 ここに、401系出力増強型の403系、423系も後に登場しますが、 さらにその後、交直両用近郊型電車の決定版、415系の出現により、 初見、形式名が似通ったり、新しいのに形式が戻ったりして混乱するところでしょう。 ■401系/421系概説 1961年6月の常磐線(取手~勝田間)交流電化、 山陽本線(小郡~下関間)直流電化+鹿児島本線(門司港~久留米間)交流電化に際し、 それぞれ用意されたのが401系・421系交直両用近郊型電車です。 153系電車をベースとした裾絞り車体+東海顔は、 いわゆる"東海形"電車の基本スタイルを踏襲していますが、 近郊型車両ゆえ、デッキなしの両開き3ドアを採用。 後の、国鉄近郊型電車の礎を築いた形式です。 国鉄近郊型電車として名の知れた形式は、113系や115系列ですが、 401/421系電車の方が先に登場。 まさに、113系・115系電車のプロトタイプと申せましょう。 ■401系って"通勤型電車"の形式では?...
【特集、去り行く東海顔 vol.7】東海顔初の"交直両用電車"401・421系
<交流・直流電化区間走行用に誕生、直流153系交直両用版の東海顔> ■国鉄交直両用車は型式名がちょっと複雑? 国鉄型車両においては、 その形式を見るだけで、 電気方式、用途構造などが判別できるようになっていますが、 こと、交直両用電車においては、 商用周波数(50Hz・60Hz)により区分する考えも付加されたことで、 より複雑な形式体系となっています。 本日のお題である東海顔の元祖、153系の交直両用版、 401系・421系も、東日本・常磐線向け交流20kV・50 Hzの401系、 九州(西日本)・鹿児島本線向け交流20kV・60 Hzの421系 に区分されるわけですが、基本的な性能・装備面は同一の車両であり、 上述の通り、商用周波数によって分けられています。 ここに、401系出力増強型の403系、423系も後に登場しますが、 さらにその後、交直両用近郊型電車の決定版、415系の出現により、 初見、形式名が似通ったり、新しいのに形式が戻ったりして混乱するところでしょう。 ■401系/421系概説 1961年6月の常磐線(取手~勝田間)交流電化、 山陽本線(小郡~下関間)直流電化+鹿児島本線(門司港~久留米間)交流電化に際し、 それぞれ用意されたのが401系・421系交直両用近郊型電車です。 153系電車をベースとした裾絞り車体+東海顔は、 いわゆる"東海形"電車の基本スタイルを踏襲していますが、 近郊型車両ゆえ、デッキなしの両開き3ドアを採用。 後の、国鉄近郊型電車の礎を築いた形式です。 国鉄近郊型電車として名の知れた形式は、113系や115系列ですが、 401/421系電車の方が先に登場。 まさに、113系・115系電車のプロトタイプと申せましょう。 ■401系って"通勤型電車"の形式では?...
【特集、去り行く東海顔 vol.6】"修学旅行専用"は資金調達の建前?
<修学旅行専用列車、ではなく修学旅行専用車両の155系(159系)> 1940年代末のベビーブーム世代が中学生となり、 修学旅行需要が急増したことに伴い、その需要に対応すべく 153系電車をベースとして開発・製造されたのが1959年登場の155系"修学旅行専用電車"。 ■155系誕生の背景 航空機の利用が大衆化されておらず、高速道路網の未発達、新幹線も開業前の当時、 関東からは、京都・奈良方面、 関西からは、東京方面への旅行が一般的だった中学生・修学旅行の移動手段は 専ら東海道本線・中央本線・関西本線の活用に限られ、 需要の集中とベビーブーム世代一学年の移動を支えるには、 定期列車では賄いきれない状況となっていました。 また、別途、"修学旅行専用列車"を仕立てるにも、 当時の国鉄自体が、急増する旅客需要に対応し切れておらず、 旧型車両のかき集めで専用列車を用意するも、 旧式の設備故、苦痛の長旅を強いられる状況、 もとより、安全装備面の不足が生徒による事故を引き起こす要因となっており、 需要への対応、 そして、 安全かつ円滑な運行の実現に向けて、 その対策は急務だった、と申せましょう。 ■徹底的な修学旅行専用仕様 1両当たりの座席定員は153系のそれと比較して、およそ1.2倍。 大人数を一度に輸送することが目的とあって、 座席定員の増加は至上命題。 成人と比較して体格の小柄な中学生の利用を想定したことから、 座席配置は、3+2列を採用。 座席が1列増えるわけですから、横幅は窮屈となるものの、 前後ピッチは153系と同様となり快適性を確保しています。 また列車の特性上、 乗り降りの機会も通常の旅客列車と比較すれば...
【特集、去り行く東海顔 vol.6】"修学旅行専用"は資金調達の建前?
<修学旅行専用列車、ではなく修学旅行専用車両の155系(159系)> 1940年代末のベビーブーム世代が中学生となり、 修学旅行需要が急増したことに伴い、その需要に対応すべく 153系電車をベースとして開発・製造されたのが1959年登場の155系"修学旅行専用電車"。 ■155系誕生の背景 航空機の利用が大衆化されておらず、高速道路網の未発達、新幹線も開業前の当時、 関東からは、京都・奈良方面、 関西からは、東京方面への旅行が一般的だった中学生・修学旅行の移動手段は 専ら東海道本線・中央本線・関西本線の活用に限られ、 需要の集中とベビーブーム世代一学年の移動を支えるには、 定期列車では賄いきれない状況となっていました。 また、別途、"修学旅行専用列車"を仕立てるにも、 当時の国鉄自体が、急増する旅客需要に対応し切れておらず、 旧型車両のかき集めで専用列車を用意するも、 旧式の設備故、苦痛の長旅を強いられる状況、 もとより、安全装備面の不足が生徒による事故を引き起こす要因となっており、 需要への対応、 そして、 安全かつ円滑な運行の実現に向けて、 その対策は急務だった、と申せましょう。 ■徹底的な修学旅行専用仕様 1両当たりの座席定員は153系のそれと比較して、およそ1.2倍。 大人数を一度に輸送することが目的とあって、 座席定員の増加は至上命題。 成人と比較して体格の小柄な中学生の利用を想定したことから、 座席配置は、3+2列を採用。 座席が1列増えるわけですから、横幅は窮屈となるものの、 前後ピッチは153系と同様となり快適性を確保しています。 また列車の特性上、 乗り降りの機会も通常の旅客列車と比較すれば...