Mr.DIMER Journal

【ついに解体へ】KTR001形・タンゴエクスプローラー・丹後の“夢”を背負った特急の36年

【ついに解体へ】KTR001形・タンゴエクスプローラー・丹後の“夢”を背負った特急の36年

2026年9月。西舞鶴で、ひとつの時代が終わろうとしています。KTR001形。 かつて「タンゴエクスプローラー」として、京阪神と丹後を結んだ豪華気動車です。まずKTR011で解体作業が始まり、床下機器やスカートなどが撤去。続いて中間車KTR012でも、車内設備の撤去作業が確認されました。残るKTR013については、現時点で車体解体開始を明確に確認できる情報はありません。 ただ、“最後の3両”として残ってきた第2編成そのものに、ついに解体の手が入ったことになります。 この車両、単なる昔の特急ではありません。 「第三セクターだって、こんな列車を造れる。」 そんな平成初期の勢いを、そのまま形にしたような車両でした。時は1990年。国鉄宮津線が北近畿タンゴ鉄道へ転換されるのに合わせ、KTR001形が登場します。 流線形の先頭部。大きな窓。そして客室の床を高くしたハイデッカー構造。 第三セクターの車両としては、かなり思い切った“本格派の特急車”でした。 車体には、丹後と京阪神を結ぶ「夢の橋=虹」、さらに丹後地方に伝わる七夕伝説をイメージしたシンボルマークまで描かれています。 つまりこの列車は最初から単なる移動手段ではなく、 「丹後へ人を呼ぶための顔」 として生まれたわけです。1990年4月。特急「タンゴエクスプローラー」として運転開始。 当初は京都から西舞鶴、網野、久美浜方面へ直通しました。ところが、最初は1編成しかありません。では検査に入ったらどうするのか。 なんとJR西日本のキハ181系が代走。あの国鉄特急形が“タンゴエクスプローラーの代役”を務めるという、今考えるとかなり濃い時代です。 1992年には第2編成が増備。さらに1999年からは新大阪発着となり、福知山線経由で丹後へ。 大都市圏から第三セクター線へ、そのまま豪華気動車が乗り込んでいく。 これこそ、この車両最大の見せ場でした。しかし時代は変わります。 2005年のJR福知山線脱線事故後、安全設備への対応などから一時JR線への乗り入れができなくなり、KTR8000形「タンゴディスカバリー」が代役を務めました。 その後復帰したものの、2011年3月。北近畿地区の特急体系再編によって「タンゴエクスプローラー」の列車名は消滅。約21年続いた京阪神直通の歴史に幕を下ろします。 その後も線内列車などで使われましたが、2013年以降は定期運用から離脱。 そして皮肉だったのが、登場時には最大の売りだった”ハイデッカー構造”です。 眺望の良さを追求した構造は、バリアフリー化が求められる時代には大きな弱点になりました。3両固定編成という構成も、利用状況に応じて短編成化したい地方鉄道には扱いづらい。 時代の最先端として生まれた設計が、時代の変化によって足かせになっていったわけです。第1編成のKTR001~003は長期間留置された末、2022年に解体。 それでも第2編成のKTR011~013は残りました。 2020年には登場30周年企画が行われ、2023年にはKTR800形による「TANGO EXPLORERオマージュトレイン」まで登場。本物が走らなくなっても、その名前は丹後に残り続けました。 だからこそ、「もしかすると保存されるのでは」そう期待した人もいたはずです。 しかし2026年9月。KTR011に続き、KTR012でも解体作業が進行。 “最後のタンゴエクスプローラー”にも、いよいよ終幕が近づいてきました。国鉄の路線が第三セクターへ移り、地方鉄道が夢を背負って豪華特急を造り、その列車が京都や新大阪まで駆け抜けた時代。 タンゴエクスプローラーは、まさにそんな平成初期の鉄道そのものだったのかもしれません。...

続きを読む

【ついに解体へ】KTR001形・タンゴエクスプローラー・丹後の“夢”を背負った特急の36年

2026年9月。西舞鶴で、ひとつの時代が終わろうとしています。KTR001形。 かつて「タンゴエクスプローラー」として、京阪神と丹後を結んだ豪華気動車です。まずKTR011で解体作業が始まり、床下機器やスカートなどが撤去。続いて中間車KTR012でも、車内設備の撤去作業が確認されました。残るKTR013については、現時点で車体解体開始を明確に確認できる情報はありません。 ただ、“最後の3両”として残ってきた第2編成そのものに、ついに解体の手が入ったことになります。 この車両、単なる昔の特急ではありません。 「第三セクターだって、こんな列車を造れる。」 そんな平成初期の勢いを、そのまま形にしたような車両でした。時は1990年。国鉄宮津線が北近畿タンゴ鉄道へ転換されるのに合わせ、KTR001形が登場します。 流線形の先頭部。大きな窓。そして客室の床を高くしたハイデッカー構造。 第三セクターの車両としては、かなり思い切った“本格派の特急車”でした。 車体には、丹後と京阪神を結ぶ「夢の橋=虹」、さらに丹後地方に伝わる七夕伝説をイメージしたシンボルマークまで描かれています。 つまりこの列車は最初から単なる移動手段ではなく、 「丹後へ人を呼ぶための顔」 として生まれたわけです。1990年4月。特急「タンゴエクスプローラー」として運転開始。 当初は京都から西舞鶴、網野、久美浜方面へ直通しました。ところが、最初は1編成しかありません。では検査に入ったらどうするのか。 なんとJR西日本のキハ181系が代走。あの国鉄特急形が“タンゴエクスプローラーの代役”を務めるという、今考えるとかなり濃い時代です。 1992年には第2編成が増備。さらに1999年からは新大阪発着となり、福知山線経由で丹後へ。 大都市圏から第三セクター線へ、そのまま豪華気動車が乗り込んでいく。 これこそ、この車両最大の見せ場でした。しかし時代は変わります。 2005年のJR福知山線脱線事故後、安全設備への対応などから一時JR線への乗り入れができなくなり、KTR8000形「タンゴディスカバリー」が代役を務めました。 その後復帰したものの、2011年3月。北近畿地区の特急体系再編によって「タンゴエクスプローラー」の列車名は消滅。約21年続いた京阪神直通の歴史に幕を下ろします。 その後も線内列車などで使われましたが、2013年以降は定期運用から離脱。 そして皮肉だったのが、登場時には最大の売りだった”ハイデッカー構造”です。 眺望の良さを追求した構造は、バリアフリー化が求められる時代には大きな弱点になりました。3両固定編成という構成も、利用状況に応じて短編成化したい地方鉄道には扱いづらい。 時代の最先端として生まれた設計が、時代の変化によって足かせになっていったわけです。第1編成のKTR001~003は長期間留置された末、2022年に解体。 それでも第2編成のKTR011~013は残りました。 2020年には登場30周年企画が行われ、2023年にはKTR800形による「TANGO EXPLORERオマージュトレイン」まで登場。本物が走らなくなっても、その名前は丹後に残り続けました。 だからこそ、「もしかすると保存されるのでは」そう期待した人もいたはずです。 しかし2026年9月。KTR011に続き、KTR012でも解体作業が進行。 “最後のタンゴエクスプローラー”にも、いよいよ終幕が近づいてきました。国鉄の路線が第三セクターへ移り、地方鉄道が夢を背負って豪華特急を造り、その列車が京都や新大阪まで駆け抜けた時代。 タンゴエクスプローラーは、まさにそんな平成初期の鉄道そのものだったのかもしれません。...

続きを読む
【私鉄の東海顔 vol.1】東海顔に先駆けた名鉄5200系

【私鉄の東海顔 vol.1】東海顔に先駆けた名鉄5200系

国鉄153系に始まり、401系、165系、113系、115系などへと受け継がれた「東海顔」。 中央に貫通扉を置き、左右の前面窓を車体側面へ回り込ませたパノラミックウィンドウが、その大きな特徴です。 しかし、この顔を国鉄より先に採用した私鉄車両が存在しました。 名古屋鉄道5200系です。 5200系が登場したのは1957年。国鉄153系の登場は翌1958年でした。 名鉄初の高性能車5000系を基礎としながら、分割・併合を考慮して前面を貫通構造へ変更。 その際、運転席からの視界確保を図るため、前面窓を側面方向へ回り込ませた独特のスタイルが採用されました。 そして翌年、国鉄153系でよく似た前面構成が登場します。 5200系が153系の設計へ直接影響を与えたかどうかは、時系列でしか推察できないところですが… しかし、「中央貫通扉+パノラミックウィンドウ」という構成を、名鉄5200系が一足早く採用していたことは確か。 後に国鉄近郊・急行型電車の一大様式となる「東海顔」。 その登場に先駆け、名古屋の私鉄には、すでにその姿があったのです。 (Mr.DIMER編集長)

続きを読む

【私鉄の東海顔 vol.1】東海顔に先駆けた名鉄5200系

国鉄153系に始まり、401系、165系、113系、115系などへと受け継がれた「東海顔」。 中央に貫通扉を置き、左右の前面窓を車体側面へ回り込ませたパノラミックウィンドウが、その大きな特徴です。 しかし、この顔を国鉄より先に採用した私鉄車両が存在しました。 名古屋鉄道5200系です。 5200系が登場したのは1957年。国鉄153系の登場は翌1958年でした。 名鉄初の高性能車5000系を基礎としながら、分割・併合を考慮して前面を貫通構造へ変更。 その際、運転席からの視界確保を図るため、前面窓を側面方向へ回り込ませた独特のスタイルが採用されました。 そして翌年、国鉄153系でよく似た前面構成が登場します。 5200系が153系の設計へ直接影響を与えたかどうかは、時系列でしか推察できないところですが… しかし、「中央貫通扉+パノラミックウィンドウ」という構成を、名鉄5200系が一足早く採用していたことは確か。 後に国鉄近郊・急行型電車の一大様式となる「東海顔」。 その登場に先駆け、名古屋の私鉄には、すでにその姿があったのです。 (Mr.DIMER編集長)

続きを読む
【もしも】115系にVVVFをぶち込んだらどうなってた?

【もしも】115系にVVVFをぶち込んだらどうなってた?

昨日の121系の記事を書いていて、ふと妄想が始まっちゃいまして… 「もし115系がVVVF化されていたら、どうなっていたんだろう。」 考え始めると、これが意外と止まりません。 もちろん、115系にVVVFインバータ制御を搭載した営業車は実在しません。 でも、当時の更新事情や、後年の国鉄型車両の改造例を見ていくと、 これ、意外と“あり得ない話”でもないのでは… 「やるなら、1990年代後半か」 115系のVVVF化を考えるなら、時期として一番それらしいのは、1990年代後半から2000年代初頭。 この頃には、JR各社でVVVF車が急速に増えていました。その一方で、115系はまだまだ地方線区の主役。 新潟。長野。岡山。 各地で、「まだ使う」という前提の更新工事も進められていました。 車体はまだ使える。でも、抵抗制御器も、主電動機MT54も、確実に古くなっていく。そこで、「どうせ大規模更新するなら、足回りまで一気に近代化してしまおう」 そんな案が出ても、そこまで不思議ではない気がします。 「115系からMT54を降ろす」 115系といえば、120kWの直流直巻電動機、MT54。113系や165系などにも使われた、国鉄電車を代表する主電動機です。 ですが、VVVF化するなら、基本的には三相誘導電動機へ交換することになります。 当然、モーターだけ載せ替えて終わりではありません。 主電動機の寸法。台車への装架。歯車比。制御装置。補助電源。配線。ブレーキ制御。 少なく見てもかなり広範囲に手を入れる必要があります。 場合によっては、台車そのものにも大改造が必要。 つまり、外見は115系でも、床下はかなり別物になる。 ここが面白い。 「走り出した瞬間、全部おかしい」 見た目はいつもの115系。湘南色。方向幕。ボックスシート。扉が閉まる。そして発車。 「ヒュイーーン……」 ……いや… 違う違う違う。115系から聞こえてくる音じゃない。さらに、停車時には低速域まで回生ブレーキが効く。あのMT54の唸りも、抵抗制御特有の加速感もない。 見た目と走りが、完全に噛み合わない。 でも、それが妙に見てみたいと思ってしまいました… 「メリットはちゃんとある」...

続きを読む

【もしも】115系にVVVFをぶち込んだらどうなってた?

昨日の121系の記事を書いていて、ふと妄想が始まっちゃいまして… 「もし115系がVVVF化されていたら、どうなっていたんだろう。」 考え始めると、これが意外と止まりません。 もちろん、115系にVVVFインバータ制御を搭載した営業車は実在しません。 でも、当時の更新事情や、後年の国鉄型車両の改造例を見ていくと、 これ、意外と“あり得ない話”でもないのでは… 「やるなら、1990年代後半か」 115系のVVVF化を考えるなら、時期として一番それらしいのは、1990年代後半から2000年代初頭。 この頃には、JR各社でVVVF車が急速に増えていました。その一方で、115系はまだまだ地方線区の主役。 新潟。長野。岡山。 各地で、「まだ使う」という前提の更新工事も進められていました。 車体はまだ使える。でも、抵抗制御器も、主電動機MT54も、確実に古くなっていく。そこで、「どうせ大規模更新するなら、足回りまで一気に近代化してしまおう」 そんな案が出ても、そこまで不思議ではない気がします。 「115系からMT54を降ろす」 115系といえば、120kWの直流直巻電動機、MT54。113系や165系などにも使われた、国鉄電車を代表する主電動機です。 ですが、VVVF化するなら、基本的には三相誘導電動機へ交換することになります。 当然、モーターだけ載せ替えて終わりではありません。 主電動機の寸法。台車への装架。歯車比。制御装置。補助電源。配線。ブレーキ制御。 少なく見てもかなり広範囲に手を入れる必要があります。 場合によっては、台車そのものにも大改造が必要。 つまり、外見は115系でも、床下はかなり別物になる。 ここが面白い。 「走り出した瞬間、全部おかしい」 見た目はいつもの115系。湘南色。方向幕。ボックスシート。扉が閉まる。そして発車。 「ヒュイーーン……」 ……いや… 違う違う違う。115系から聞こえてくる音じゃない。さらに、停車時には低速域まで回生ブレーキが効く。あのMT54の唸りも、抵抗制御特有の加速感もない。 見た目と走りが、完全に噛み合わない。 でも、それが妙に見てみたいと思ってしまいました… 「メリットはちゃんとある」...

続きを読む
【なぜダボダボ?】鉄道車両の通称「ダボ幌」とは…

【なぜダボダボ?】鉄道車両の通称「ダボ幌」とは…

<鉄道車両の顔に見られる、妙に膨らんだ“アレ”> 先頭部の貫通幌が妙にダボダボと膨らんでいる車両を見かけることがあります。 きれいな蛇腹状ではなく、左右へ広がったり、一部分だけ前へ飛び出したり。 鉄道趣味の世界では、こうした幌を俗に「ダボ幌」「ダボホロ」と呼ぶことがあります。(私は"ぼわぼわの幌"と呼んでましたが) そもそも貫通幌とは、車両同士を連結した際、車両間を安全に行き来できる通路をつくるためのもの。 内部には幌の形状を保持する骨組みがあり、これを折り畳むことで、使用しない際には車体側へ収めることができます。 ところが長年使用していると、この骨組みが少しずつ変形。 幌布にも折り癖が付き、収納しても新品時のように整然とは畳まれなくなります。 その結果―― 幌が左右へ膨らみ、いかにも「ダボッ」とした姿になるというわけです。 単なる経年変化の結果ですが、しかし、くたびれて不揃いになった幌は、長年現場で使われ続けた車両ならではの表情とも言え、これもまた乙なもの。 編集長的ザ・ベストな"ダボ幌"は。 JR北海道の721系。 ダボ幌自体は、日本全国で見られる現象ですが、特に北海道車は大きく膨らんだ幌を持っている印象です。 はて、酷寒地だからこそ、幌を劣化させる要素が揃っているのか… それはそうと、整然としていないからこそ、一両一両で微妙に表情が異なる。 鉄道車両の「顔」を眺めるとき、そんな幌の形にも注目してみてはいかがでしょうか。 (Mr.DIMER編集長)

続きを読む

【なぜダボダボ?】鉄道車両の通称「ダボ幌」とは…

<鉄道車両の顔に見られる、妙に膨らんだ“アレ”> 先頭部の貫通幌が妙にダボダボと膨らんでいる車両を見かけることがあります。 きれいな蛇腹状ではなく、左右へ広がったり、一部分だけ前へ飛び出したり。 鉄道趣味の世界では、こうした幌を俗に「ダボ幌」「ダボホロ」と呼ぶことがあります。(私は"ぼわぼわの幌"と呼んでましたが) そもそも貫通幌とは、車両同士を連結した際、車両間を安全に行き来できる通路をつくるためのもの。 内部には幌の形状を保持する骨組みがあり、これを折り畳むことで、使用しない際には車体側へ収めることができます。 ところが長年使用していると、この骨組みが少しずつ変形。 幌布にも折り癖が付き、収納しても新品時のように整然とは畳まれなくなります。 その結果―― 幌が左右へ膨らみ、いかにも「ダボッ」とした姿になるというわけです。 単なる経年変化の結果ですが、しかし、くたびれて不揃いになった幌は、長年現場で使われ続けた車両ならではの表情とも言え、これもまた乙なもの。 編集長的ザ・ベストな"ダボ幌"は。 JR北海道の721系。 ダボ幌自体は、日本全国で見られる現象ですが、特に北海道車は大きく膨らんだ幌を持っている印象です。 はて、酷寒地だからこそ、幌を劣化させる要素が揃っているのか… それはそうと、整然としていないからこそ、一両一両で微妙に表情が異なる。 鉄道車両の「顔」を眺めるとき、そんな幌の形にも注目してみてはいかがでしょうか。 (Mr.DIMER編集長)

続きを読む
【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

「四国に、電車を走らせる。」今では当たり前ですが、国鉄時代の四国は筋金入りの“ディーゼル王国”でした。 キハ20系。キハ47形。急行のキハ58系・キハ65形。特急のキハ181系。そして国鉄末期には、キハ32形、キハ54形、キハ185系まで登場。 普通から急行、特急まで。架線のない四国では、何から何まで気動車でした。そんな世界を一変させたのが、 121系です。 「国鉄がなくなる9日前」1987年3月23日。 予讃本線の高松―坂出、多度津―観音寺、土讃本線の多度津―琴平が電化開業。ここで営業運転を始めたのが、四国総局初の電車・121系でした。 そして国鉄分割民営化は、1987年4月1日。つまり国鉄の121系として走った期間は、わずか9日。まさに国鉄が最後の最後に四国へ残した新車でした。製造されたのは、クモハ121+クハ120の2両編成19本、計38両。地方都市圏では2両。必要なら連結して4両、6両。四国の輸送量に合わせやすい、実に合理的な編成でした。 「見た目は最新。でも走りは103系?」 121系の外観は、当時としてはかなり新鮮でした。軽量ステンレス車体。黒い前面窓。中央の貫通扉。片側3扉。車内はセミクロスシート。 205系や211系と同じ“国鉄末期の新世代車”に見えます。 ところが、床下を見ると話が変わります。制御方式は抵抗制御。主電動機はMT55A・110kW。 そう。103系後期車でおなじみのモーターです。 さらに電動台車はDT33系、付随台車にも廃車発生品を活用。補助電源装置などにも流用品が使われました。車体は新品なのに、足回りには国電の部品。財政難に苦しんでいた国鉄末期らしい、徹底した節約設計だったのです。 「新車なのに、とことん割り切る」 121系にはトイレがありません。側面の行先表示器も省略。車体も211系のような裾絞りをやめ、直線的な形状としました。 「必要なものは付ける。でも不要なものには金を掛けない。」 その一方で冷房は装備し、座席はセミクロス。通勤・通学だけではなく、中距離利用にも対応しています。豪華ではない。でも、四国で使う普通電車として必要なものは揃っている。これが121系でした。 「瀬戸大橋を目前に生まれた電車」 121系が登場した翌1988年。瀬戸大橋が開通します。本州と四国が、ついに線路でつながりました。しかし瀬戸大橋を華々しく駆け抜けた主役は、213系「マリンライナー」。121系はその陰で、高松近郊を中心に普通列車として走り続けます。 派手な仕事ではありません。でも、毎朝学生を乗せる。会社員を運ぶ。夕方にはまた家へ連れて帰る。“ディーゼル王国”だった四国に、電車のある日常を根付かせたのは121系でした。 「30年後、まさかの大改造」 普通なら、ここで老朽廃車です。ところが121系は終わりませんでした。2016年から大規模リニューアルを開始。 抵抗制御を捨て、VVVFインバータ制御化。走行機器や台車も更新され、7000系との併結にも対応。そして形式まで、7200系へ変更されました。 見た目の基本は国鉄生まれ。でも中身はVVVF車。103系譲りのMT55Aで走っていた電車が、約30年後には交流モーターで走る。 なかなか凄い人生です。 121系。 国鉄として活躍したのは、たった9日。けれど、その車体はJR四国へ受け継がれ、さらに7200系へ姿を変えて生き続けました。 気動車しか知らなかった四国へ、初めて“電車の日常”を連れてきた車両。 それが、国鉄最後の春に生まれた121系だったのです。 (マイミー)...

続きを読む

【国鉄名車列伝】121系・国鉄最後の春、ディーゼル王国に現れた“四国初の電車”

「四国に、電車を走らせる。」今では当たり前ですが、国鉄時代の四国は筋金入りの“ディーゼル王国”でした。 キハ20系。キハ47形。急行のキハ58系・キハ65形。特急のキハ181系。そして国鉄末期には、キハ32形、キハ54形、キハ185系まで登場。 普通から急行、特急まで。架線のない四国では、何から何まで気動車でした。そんな世界を一変させたのが、 121系です。 「国鉄がなくなる9日前」1987年3月23日。 予讃本線の高松―坂出、多度津―観音寺、土讃本線の多度津―琴平が電化開業。ここで営業運転を始めたのが、四国総局初の電車・121系でした。 そして国鉄分割民営化は、1987年4月1日。つまり国鉄の121系として走った期間は、わずか9日。まさに国鉄が最後の最後に四国へ残した新車でした。製造されたのは、クモハ121+クハ120の2両編成19本、計38両。地方都市圏では2両。必要なら連結して4両、6両。四国の輸送量に合わせやすい、実に合理的な編成でした。 「見た目は最新。でも走りは103系?」 121系の外観は、当時としてはかなり新鮮でした。軽量ステンレス車体。黒い前面窓。中央の貫通扉。片側3扉。車内はセミクロスシート。 205系や211系と同じ“国鉄末期の新世代車”に見えます。 ところが、床下を見ると話が変わります。制御方式は抵抗制御。主電動機はMT55A・110kW。 そう。103系後期車でおなじみのモーターです。 さらに電動台車はDT33系、付随台車にも廃車発生品を活用。補助電源装置などにも流用品が使われました。車体は新品なのに、足回りには国電の部品。財政難に苦しんでいた国鉄末期らしい、徹底した節約設計だったのです。 「新車なのに、とことん割り切る」 121系にはトイレがありません。側面の行先表示器も省略。車体も211系のような裾絞りをやめ、直線的な形状としました。 「必要なものは付ける。でも不要なものには金を掛けない。」 その一方で冷房は装備し、座席はセミクロス。通勤・通学だけではなく、中距離利用にも対応しています。豪華ではない。でも、四国で使う普通電車として必要なものは揃っている。これが121系でした。 「瀬戸大橋を目前に生まれた電車」 121系が登場した翌1988年。瀬戸大橋が開通します。本州と四国が、ついに線路でつながりました。しかし瀬戸大橋を華々しく駆け抜けた主役は、213系「マリンライナー」。121系はその陰で、高松近郊を中心に普通列車として走り続けます。 派手な仕事ではありません。でも、毎朝学生を乗せる。会社員を運ぶ。夕方にはまた家へ連れて帰る。“ディーゼル王国”だった四国に、電車のある日常を根付かせたのは121系でした。 「30年後、まさかの大改造」 普通なら、ここで老朽廃車です。ところが121系は終わりませんでした。2016年から大規模リニューアルを開始。 抵抗制御を捨て、VVVFインバータ制御化。走行機器や台車も更新され、7000系との併結にも対応。そして形式まで、7200系へ変更されました。 見た目の基本は国鉄生まれ。でも中身はVVVF車。103系譲りのMT55Aで走っていた電車が、約30年後には交流モーターで走る。 なかなか凄い人生です。 121系。 国鉄として活躍したのは、たった9日。けれど、その車体はJR四国へ受け継がれ、さらに7200系へ姿を変えて生き続けました。 気動車しか知らなかった四国へ、初めて“電車の日常”を連れてきた車両。 それが、国鉄最後の春に生まれた121系だったのです。 (マイミー)...

続きを読む
【もしもシリーズ】E235系・E131系のスカートがシルバーだったら…

【もしもシリーズ】E235系・E131系のスカートがシルバーだったら…

JR東日本E235系、E131系に見られるように、ここ最近の通勤・一般形電車のスカートは黒一色で塗られているようです。 もし、これら車両のスカートがE233系のシルバーを踏襲していたら。 (Mr.DIMER編集長)

続きを読む

【もしもシリーズ】E235系・E131系のスカートがシルバーだったら…

JR東日本E235系、E131系に見られるように、ここ最近の通勤・一般形電車のスカートは黒一色で塗られているようです。 もし、これら車両のスカートがE233系のシルバーを踏襲していたら。 (Mr.DIMER編集長)

続きを読む