Mr.DIMER Journal
【鉄道界の】写ルンです
今月(2026年7月)、発売40年を迎えた、富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」。 初代の発売は、1986年7月1日。「いつでも、どこでも、誰でも、簡単に」をコンセプトに、"フィルムにレンズを付ける"という逆転の発想から生まれ、累計販売数は17億本以上。 まさに一世を風靡したヒット商品です。 デジタルカメラの台頭で一時は存在感が薄れたものの、近年はあのアナログな撮影体験がZ世代を中心に再評価され、この8月以降には、実に20年ぶりの新商品として、防水モデルと黒白フィルムモデルが発売されるとのこと。 さて、鉄道界にあっては。 この使い捨てカメラになぞらえ、 "価格半分、重量半分、寿命半分" というコンセプトで登場した209系電車を、「走ルンです」と揶揄(親しみを込めて)したのが始まりでした。 ■"寿命半分"の衝撃209系の登場は1993年。京浜東北線の103系置き換えを目的に、前年の試作車901系を経てデビューしています。 軽量ステンレス車体にVVVFインバータ制御。製造コストは従来車の半分、車体重量もおよそ半分。 そして何より衝撃的だったのが、設計寿命を約13年と割り切った"寿命半分"の思想です。 "電車(鉄道車両)とは数十年使うもの"という価値観が基準の当時にあって、 長持ちさせるための過剰な頑丈さを排し、安く、軽く造り、時代に合わなくなれば潔く更新する。 という設計思想は、まさに革命でした。 薄い車体に、簡素な内装。当時、「安っぽい」と辛辣な評価が少なくなかったことも、正直に記しておくところです。 ■ところが、永く"走ルン"です。デビューから33年が経過した2026年現在、209系は、いまだ走っています。 京浜東北線を退いた後、2009年からは房総地区へ転用。機器更新を受けながら、内房線・外房線・総武本線などで活躍を続けています。 2021年には伊豆急行へ譲渡された車両が「3000系」として運用を開始。 "寿命半分"を標榜した車両が、半世紀選手であった先輩たちに迫る車齢を重ねつつあります。 ■"使い捨て"は誤解だったここで面白いのが、本家・写ルンですとの共通点。 写ルンですは"使い捨てカメラ"と呼ばれ続けましたが、実際には使用済み本体を回収し、部品を再利用する、リサイクルシステムの先駆けでした。 一方の209系も、"使い捨て電車"と揶揄されながら、その実態は、リサイクルを前提として設計し、車体・機器を無駄なく使い切る思想の持ち主。 両者とも、"使い捨て"という呼び名とは裏腹に、「モノを賢く使い切る」ことへ真摯に向き合った先駆者であったと申せましょう。 名で誤解され、実で見直される。似た者同士の40年、33年です。 ■「走ルンです」が遺したもの209系の設計思想は、E231系、E233系、E235系へと受け継がれ、今日のJR東日本一般形車両すべての礎となりました。 言うなれば、現在の首都圏を走る電車たちは、みな「走ルンです」の系譜に連なる子孫たち。 40年を迎えてなお愛される写ルンですと、33年を経てなお走り続ける走ルンです。 "半分"のはずだった寿命をとうに使い果たしてなお現役の姿を見るに、あの揶揄はもはや、賛辞へと転じたのではないか。 と、思うところです。 (Mr.DIMER編集長)...
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今月(2026年7月)、発売40年を迎えた、富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」。 初代の発売は、1986年7月1日。「いつでも、どこでも、誰でも、簡単に」をコンセプトに、"フィルムにレンズを付ける"という逆転の発想から生まれ、累計販売数は17億本以上。 まさに一世を風靡したヒット商品です。 デジタルカメラの台頭で一時は存在感が薄れたものの、近年はあのアナログな撮影体験がZ世代を中心に再評価され、この8月以降には、実に20年ぶりの新商品として、防水モデルと黒白フィルムモデルが発売されるとのこと。 さて、鉄道界にあっては。 この使い捨てカメラになぞらえ、 "価格半分、重量半分、寿命半分" というコンセプトで登場した209系電車を、「走ルンです」と揶揄(親しみを込めて)したのが始まりでした。 ■"寿命半分"の衝撃209系の登場は1993年。京浜東北線の103系置き換えを目的に、前年の試作車901系を経てデビューしています。 軽量ステンレス車体にVVVFインバータ制御。製造コストは従来車の半分、車体重量もおよそ半分。 そして何より衝撃的だったのが、設計寿命を約13年と割り切った"寿命半分"の思想です。 "電車(鉄道車両)とは数十年使うもの"という価値観が基準の当時にあって、 長持ちさせるための過剰な頑丈さを排し、安く、軽く造り、時代に合わなくなれば潔く更新する。 という設計思想は、まさに革命でした。 薄い車体に、簡素な内装。当時、「安っぽい」と辛辣な評価が少なくなかったことも、正直に記しておくところです。 ■ところが、永く"走ルン"です。デビューから33年が経過した2026年現在、209系は、いまだ走っています。 京浜東北線を退いた後、2009年からは房総地区へ転用。機器更新を受けながら、内房線・外房線・総武本線などで活躍を続けています。 2021年には伊豆急行へ譲渡された車両が「3000系」として運用を開始。 "寿命半分"を標榜した車両が、半世紀選手であった先輩たちに迫る車齢を重ねつつあります。 ■"使い捨て"は誤解だったここで面白いのが、本家・写ルンですとの共通点。 写ルンですは"使い捨てカメラ"と呼ばれ続けましたが、実際には使用済み本体を回収し、部品を再利用する、リサイクルシステムの先駆けでした。 一方の209系も、"使い捨て電車"と揶揄されながら、その実態は、リサイクルを前提として設計し、車体・機器を無駄なく使い切る思想の持ち主。 両者とも、"使い捨て"という呼び名とは裏腹に、「モノを賢く使い切る」ことへ真摯に向き合った先駆者であったと申せましょう。 名で誤解され、実で見直される。似た者同士の40年、33年です。 ■「走ルンです」が遺したもの209系の設計思想は、E231系、E233系、E235系へと受け継がれ、今日のJR東日本一般形車両すべての礎となりました。 言うなれば、現在の首都圏を走る電車たちは、みな「走ルンです」の系譜に連なる子孫たち。 40年を迎えてなお愛される写ルンですと、33年を経てなお走り続ける走ルンです。 "半分"のはずだった寿命をとうに使い果たしてなお現役の姿を見るに、あの揶揄はもはや、賛辞へと転じたのではないか。 と、思うところです。 (Mr.DIMER編集長)...
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【お尋ね】幻の"常磐快速線土浦延伸"で計画された"ほんとう"の401系について
もし、国鉄時代に計画された、常磐快速線の土浦延伸が実現していた場合。 交直両用でかつ、4ドア通勤型タイプの車両が導入される計画だったと聞きます。 最も、国鉄民営化によるJR発足後の1995年、"交直両用通勤型電車"と言う初の区分で誕生したE501系によって、これを実現することになったわけですが。 "もしも、国鉄時代に交直両用通勤型電車が登場していたら、 どのような車両で、どのような塗装になっていたのか" これを検討しようとすると、およそ、車体は103系がベースとなることは容易に想定できるものの…塗装は一体どうなっていたのか。思案するわけです。 いわゆる、"常磐線中距離電車"は、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する列車、 常磐線快速電車は、取手までの"通勤電車"ですから、塗装が分かれているのは、誤乗防止・案内性の観点から当然、しかし、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する&通勤電車となれば、どのような塗装が最適だったのか。 やはり、"白電"でしょうか。 E501系がエメラルドグリーン帯を巻き、そして、E531系が白電・415系1500番台譲りの青帯を巻いたように。 "常磐線中距離電車"の一つとしてカラーリングも括られていたのでしょうか。 詳しい諸先輩方、是非、教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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もし、国鉄時代に計画された、常磐快速線の土浦延伸が実現していた場合。 交直両用でかつ、4ドア通勤型タイプの車両が導入される計画だったと聞きます。 最も、国鉄民営化によるJR発足後の1995年、"交直両用通勤型電車"と言う初の区分で誕生したE501系によって、これを実現することになったわけですが。 "もしも、国鉄時代に交直両用通勤型電車が登場していたら、 どのような車両で、どのような塗装になっていたのか" これを検討しようとすると、およそ、車体は103系がベースとなることは容易に想定できるものの…塗装は一体どうなっていたのか。思案するわけです。 いわゆる、"常磐線中距離電車"は、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する列車、 常磐線快速電車は、取手までの"通勤電車"ですから、塗装が分かれているのは、誤乗防止・案内性の観点から当然、しかし、取手を越えて、土浦・水戸方面へ直通する&通勤電車となれば、どのような塗装が最適だったのか。 やはり、"白電"でしょうか。 E501系がエメラルドグリーン帯を巻き、そして、E531系が白電・415系1500番台譲りの青帯を巻いたように。 "常磐線中距離電車"の一つとしてカラーリングも括られていたのでしょうか。 詳しい諸先輩方、是非、教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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【神出鬼没】特大貨車「シキ」
日本を走る貨物列車の中でも、その迫力は間違いなく最重量級。 発電所や変電所で使用される、巨大な変圧器。 その“規格外の荷物”を鉄路で運ぶために造られたのが、大物車と呼ばれる特大貨車。 「シキ」です。 貨車の形式記号では、「シ」が大物車「キ」が積載重量25トン以上を表します。 しかし実際のシキが運ぶのは、皆さんもご存知の通り25トンどころの話ではありません。 時には100トンを大きく超える巨大変圧器を抱え、何十個もの車輪で重量を線路へ分散させながら、豪快なジョイント音と共に目的地へ向かいます。 なかでも有名なのが、1973年から製造されたシキ800形。 日本通運の私有貨車として誕生し、長年にわたって大型変圧器の輸送を担ってきました。 巨大な荷物を前後の荷受梁で挟み込み、変圧器そのものが貨車の車体の一部になったような姿。幾重にも連なる台車。異様な数の車輪。線路を踏みしめるように進む、圧倒的な重量感。 もはや貨車というより、鉄路を走る巨大構造物です。 故に、橋梁が重量に耐えられるのか。ホームやトンネルに接触しないのか。曲線で荷物がはみ出さないのか。 輸送前には経路を細かく調査し、場合によっては低速で、慎重に運転されます。 しかも、変圧器輸送が必要な時だけ走る特殊な貨車。 定期列車のように毎日姿を見せるわけではなく、運転日や経路も限られています。 だからこそ、その姿を目撃できた時の衝撃は大きい。「神出鬼没」と言えるのではないかと思います。 黒い巨大な車体が、豪快な音と共に、近づいてくる。 「なんだ、あの貨車は……」 初めて見た人なら、思わずそう声を漏らしてしまうはずです。 道路輸送や船舶輸送の発達により、シキが活躍する機会は以前より少なくなりました。 それでも、道路では運ぶことのできない超重量物を、鉄道だからこそ運べる場面が残されています。 普段はどこにいるのか分からない。しかし必要とされた時には、巨大な荷物を背負って静かに現れる。 大量の荷物を運ぶ貨物列車の中で、たった一つの変圧器を運ぶためだけに走る列車。 神出鬼没の特大貨車「シキ」。 その姿は今もなお、日本の鉄道貨物が持つ底知れない力を、私たちに見せつけてくれてる気がします。 (マイミー)
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日本を走る貨物列車の中でも、その迫力は間違いなく最重量級。 発電所や変電所で使用される、巨大な変圧器。 その“規格外の荷物”を鉄路で運ぶために造られたのが、大物車と呼ばれる特大貨車。 「シキ」です。 貨車の形式記号では、「シ」が大物車「キ」が積載重量25トン以上を表します。 しかし実際のシキが運ぶのは、皆さんもご存知の通り25トンどころの話ではありません。 時には100トンを大きく超える巨大変圧器を抱え、何十個もの車輪で重量を線路へ分散させながら、豪快なジョイント音と共に目的地へ向かいます。 なかでも有名なのが、1973年から製造されたシキ800形。 日本通運の私有貨車として誕生し、長年にわたって大型変圧器の輸送を担ってきました。 巨大な荷物を前後の荷受梁で挟み込み、変圧器そのものが貨車の車体の一部になったような姿。幾重にも連なる台車。異様な数の車輪。線路を踏みしめるように進む、圧倒的な重量感。 もはや貨車というより、鉄路を走る巨大構造物です。 故に、橋梁が重量に耐えられるのか。ホームやトンネルに接触しないのか。曲線で荷物がはみ出さないのか。 輸送前には経路を細かく調査し、場合によっては低速で、慎重に運転されます。 しかも、変圧器輸送が必要な時だけ走る特殊な貨車。 定期列車のように毎日姿を見せるわけではなく、運転日や経路も限られています。 だからこそ、その姿を目撃できた時の衝撃は大きい。「神出鬼没」と言えるのではないかと思います。 黒い巨大な車体が、豪快な音と共に、近づいてくる。 「なんだ、あの貨車は……」 初めて見た人なら、思わずそう声を漏らしてしまうはずです。 道路輸送や船舶輸送の発達により、シキが活躍する機会は以前より少なくなりました。 それでも、道路では運ぶことのできない超重量物を、鉄道だからこそ運べる場面が残されています。 普段はどこにいるのか分からない。しかし必要とされた時には、巨大な荷物を背負って静かに現れる。 大量の荷物を運ぶ貨物列車の中で、たった一つの変圧器を運ぶためだけに走る列車。 神出鬼没の特大貨車「シキ」。 その姿は今もなお、日本の鉄道貨物が持つ底知れない力を、私たちに見せつけてくれてる気がします。 (マイミー)
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【日本では引退】インドネシアでは、愛されるスターに。
日本では「古い電車」として引退した、205系や203系、東京メトロ6000系や05系。しかし海を渡ったインドネシアでは、人々の暮らしを支える大切な足として、再び第一線を走り続けました。 日本と同じ軌間1,067mm、直流1,500V。 激しいラッシュに耐えてきた頑丈な車体と、大量輸送に適した広い車内。さらに、日本で丁寧に整備されてきた車両を、まとまった数で導入できる。日本の中古電車は、急成長するジャカルタの鉄道にとって、まさに救世主のような存在だったのです。 しかし、日本車がインドネシアへ運んだものは、輸送力だけではありませんでした。近年、インドネシアでは列車を撮影し、編成番号や塗装の違いを楽しみ、日本時代の経歴まで調べる若い鉄道ファンが目立つようになっています。 SNSの普及に加え、205系だけでも埼京線、横浜線、南武線、武蔵野線など、さまざまな“物語”を背負った車両が集まったことも、ファンを惹きつけた理由ではないでしょうか。その熱量を象徴するのが、2026年7月18日に開催された第2回「DEPO DEPOK TOUR EVENT」。 デポック車両基地には、元JR東日本203系・205系、元東京メトロ6000系・7000系・05系が集結。 203系や6000系は日本時代の姿へ、05系は東西線時代の帯へ、205系はインドネシア譲渡初期に見られた南武線帯を残す姿へと再現されました。前年のイベントでも、205系に埼京線・横浜線・南武線・武蔵野線時代の姿が再現されています。 日本では当たり前のように走っていた通勤電車。 それを現地のファンが大切に磨き、日本時代の姿へ戻し、嬉しそうにカメラを向けている。これは、たまらなく胸が熱くなる光景です。 日本から渡ったのは、単なる中古車ではなかった。 電車を愛し、追いかけ、撮影し、その歴史を語り継ぐ文化まで、一緒に海を渡っていたのです。 しかし、時代は確実に動いています。 KAI Commuterは2025年から新型車CLI-125を順次投入し、同年12月にはインドネシアのINKAが製造した国産新型車CLI-225の営業運転も開始しました。KAI Commuterは新型車を、寿命を迎えた従来車の置き換えとして導入しており、19編成を対象とした更新・改造計画も進めています。 つまり今後のKAI Commuterは、日本の中古車を買い続ける時代から、新造車の導入、インドネシア国内での車両生産、既存車の延命を組み合わせる時代へと進んでいきます。 日本車にとって、少し寂しい世代交代が始まっていることは間違いありません。 それでも、日本の電車がジャカルタの鉄道を支え、鉄道ファン文化を育て、インドネシアの車両製造へとつながる“橋渡し役”を果たした事実は消えません。日本では引退した電車が、異国の地で人々に愛され、スターになった。そして役目を終える時が来ても、その姿は写真と記憶の中に残り続ける。 日本車がインドネシアに残したもの。 それは車両だけではなく、鉄道を愛する心そのものだったのかもしれませんね。 (マイミー)
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日本では「古い電車」として引退した、205系や203系、東京メトロ6000系や05系。しかし海を渡ったインドネシアでは、人々の暮らしを支える大切な足として、再び第一線を走り続けました。 日本と同じ軌間1,067mm、直流1,500V。 激しいラッシュに耐えてきた頑丈な車体と、大量輸送に適した広い車内。さらに、日本で丁寧に整備されてきた車両を、まとまった数で導入できる。日本の中古電車は、急成長するジャカルタの鉄道にとって、まさに救世主のような存在だったのです。 しかし、日本車がインドネシアへ運んだものは、輸送力だけではありませんでした。近年、インドネシアでは列車を撮影し、編成番号や塗装の違いを楽しみ、日本時代の経歴まで調べる若い鉄道ファンが目立つようになっています。 SNSの普及に加え、205系だけでも埼京線、横浜線、南武線、武蔵野線など、さまざまな“物語”を背負った車両が集まったことも、ファンを惹きつけた理由ではないでしょうか。その熱量を象徴するのが、2026年7月18日に開催された第2回「DEPO DEPOK TOUR EVENT」。 デポック車両基地には、元JR東日本203系・205系、元東京メトロ6000系・7000系・05系が集結。 203系や6000系は日本時代の姿へ、05系は東西線時代の帯へ、205系はインドネシア譲渡初期に見られた南武線帯を残す姿へと再現されました。前年のイベントでも、205系に埼京線・横浜線・南武線・武蔵野線時代の姿が再現されています。 日本では当たり前のように走っていた通勤電車。 それを現地のファンが大切に磨き、日本時代の姿へ戻し、嬉しそうにカメラを向けている。これは、たまらなく胸が熱くなる光景です。 日本から渡ったのは、単なる中古車ではなかった。 電車を愛し、追いかけ、撮影し、その歴史を語り継ぐ文化まで、一緒に海を渡っていたのです。 しかし、時代は確実に動いています。 KAI Commuterは2025年から新型車CLI-125を順次投入し、同年12月にはインドネシアのINKAが製造した国産新型車CLI-225の営業運転も開始しました。KAI Commuterは新型車を、寿命を迎えた従来車の置き換えとして導入しており、19編成を対象とした更新・改造計画も進めています。 つまり今後のKAI Commuterは、日本の中古車を買い続ける時代から、新造車の導入、インドネシア国内での車両生産、既存車の延命を組み合わせる時代へと進んでいきます。 日本車にとって、少し寂しい世代交代が始まっていることは間違いありません。 それでも、日本の電車がジャカルタの鉄道を支え、鉄道ファン文化を育て、インドネシアの車両製造へとつながる“橋渡し役”を果たした事実は消えません。日本では引退した電車が、異国の地で人々に愛され、スターになった。そして役目を終える時が来ても、その姿は写真と記憶の中に残り続ける。 日本車がインドネシアに残したもの。 それは車両だけではなく、鉄道を愛する心そのものだったのかもしれませんね。 (マイミー)
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【教えて下さい】非冷房が当たり前の時代
いわゆるベンチレータだけが整然と並ぶ屋根上よりは。 すっきりとした屋根上に集中式クーラーキセが中央に鎮座している方が馴染みがあると感じてしまい、最早、それの方が馴染む、という世代が増えてきている時代かと推察します。 私個人の感想で恐縮ですが、私鉄車であれば分散式クーラーキセが4~5つほど並ぶ、国鉄車ならベンチレータの千鳥配置と集中クーラーキセが中央に鎮座するスタイルが最も安心する世代です。 さて、本日のお話は教えて下さい、非冷房の時代。 夏たるものが季節ではなく災害の時期とも言えそうな灼熱の今日この頃、 私が小学生の頃に学んだのはあなた達が40歳になる頃には夏の外気温は40度になりますよ。と。 40歳どころか、物凄い速さで温暖化は進んでいるように感じます。 最も50年前の夏は25度も無かった、とは父の証言。 今と比べるわけには参りませんが、かつての日本の夏。は非冷房でも乗り切れたのか。それとも"やっぱり暑かった"のか。 みなさま、ぜひ教えて下さい。 ----------------------------------------暦の上において、一年で最も暑い時期は7月23日頃の「大暑」と言われます。とは言え、大暑どころか…「猛暑」なのが昨今の気象事情。熱中症にご注意下さい。---------------------------------------- (Mr.DIMER編集長)
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いわゆるベンチレータだけが整然と並ぶ屋根上よりは。 すっきりとした屋根上に集中式クーラーキセが中央に鎮座している方が馴染みがあると感じてしまい、最早、それの方が馴染む、という世代が増えてきている時代かと推察します。 私個人の感想で恐縮ですが、私鉄車であれば分散式クーラーキセが4~5つほど並ぶ、国鉄車ならベンチレータの千鳥配置と集中クーラーキセが中央に鎮座するスタイルが最も安心する世代です。 さて、本日のお話は教えて下さい、非冷房の時代。 夏たるものが季節ではなく災害の時期とも言えそうな灼熱の今日この頃、 私が小学生の頃に学んだのはあなた達が40歳になる頃には夏の外気温は40度になりますよ。と。 40歳どころか、物凄い速さで温暖化は進んでいるように感じます。 最も50年前の夏は25度も無かった、とは父の証言。 今と比べるわけには参りませんが、かつての日本の夏。は非冷房でも乗り切れたのか。それとも"やっぱり暑かった"のか。 みなさま、ぜひ教えて下さい。 ----------------------------------------暦の上において、一年で最も暑い時期は7月23日頃の「大暑」と言われます。とは言え、大暑どころか…「猛暑」なのが昨今の気象事情。熱中症にご注意下さい。---------------------------------------- (Mr.DIMER編集長)
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【認識は変化するもの、されど...】コレ、貝塚線色じゃない、西鉄特急色!
"一昔前"。 の定量的評価が、"何年の刻"なのか、については人それぞれかと思います。 西鉄における、オキサイドイエローにボンレッドのストライプを纏ったいわゆる"黄色い電車"と言えば、"貝塚線の電車!"。と答えが返ってくることでしょう。 時代をさかのぼります、1973年。 西鉄における"黄色い電車"とはかつて西鉄大牟田線 福岡〜大牟田間を60分で結んだ大牟田線・筑紫路のエース、2000形の専用色でした。 それまでベージュとあずき色の"旧西鉄標準色"を纏う車両ばかりの中に投入されたオキサイドイエローの新車。 鮮烈な印象を残したに違いありません。 そして、宮地岳線(旧:貝塚線)における"黄色い電車の歴史"は大牟田線から移籍した313形が始まり。 1977年のこと、2000形の"オキサイドイエロー"誕生の4年後です。 "本線"の、"西鉄特急新時代"を象徴する塗装。これを支線車両に纏わせたのはそれまで大牟田線の中古車ばかりで構成されてきた宮地岳線のイメージアップを図ったものと捉えています。 1977年の2年前、1975年、大牟田線向け通勤形電車として誕生する5000形が、同じボンレッドの帯を巻くもののアイスグリーンを基本とした塗装で600形他一般形電車に波及させていった史実を見るに、宮地岳線こそ"アイスグリーン"にしても良かったところ。上述した"イメージアップ作戦"の証左かと思います。 大牟田線において、アイスグリーンの車両が普及していく中、2000形の"オキサイドイエロー"は更に眩しく、輝く存在へと昇華されていったように感じています。 2000形が引退したのは2010年。実に16年の年月が過ぎてしまいました。 "にしてつの黄色い電車"、と言えばすっかり、「あぁ、香椎の2両編成ね〜。」と言う会話が定着しました。 認識は変化するもの。されど...これだけは言わせてほしい。 "貝塚線を走る黄色い電車は。 西鉄貝塚線色ではなく、西鉄宮地岳線色でもなく! 「西鉄特急色」であることを。" 是非、みなさまの認識は変化するもの。されど...これは言っておきたい。 教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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"一昔前"。 の定量的評価が、"何年の刻"なのか、については人それぞれかと思います。 西鉄における、オキサイドイエローにボンレッドのストライプを纏ったいわゆる"黄色い電車"と言えば、"貝塚線の電車!"。と答えが返ってくることでしょう。 時代をさかのぼります、1973年。 西鉄における"黄色い電車"とはかつて西鉄大牟田線 福岡〜大牟田間を60分で結んだ大牟田線・筑紫路のエース、2000形の専用色でした。 それまでベージュとあずき色の"旧西鉄標準色"を纏う車両ばかりの中に投入されたオキサイドイエローの新車。 鮮烈な印象を残したに違いありません。 そして、宮地岳線(旧:貝塚線)における"黄色い電車の歴史"は大牟田線から移籍した313形が始まり。 1977年のこと、2000形の"オキサイドイエロー"誕生の4年後です。 "本線"の、"西鉄特急新時代"を象徴する塗装。これを支線車両に纏わせたのはそれまで大牟田線の中古車ばかりで構成されてきた宮地岳線のイメージアップを図ったものと捉えています。 1977年の2年前、1975年、大牟田線向け通勤形電車として誕生する5000形が、同じボンレッドの帯を巻くもののアイスグリーンを基本とした塗装で600形他一般形電車に波及させていった史実を見るに、宮地岳線こそ"アイスグリーン"にしても良かったところ。上述した"イメージアップ作戦"の証左かと思います。 大牟田線において、アイスグリーンの車両が普及していく中、2000形の"オキサイドイエロー"は更に眩しく、輝く存在へと昇華されていったように感じています。 2000形が引退したのは2010年。実に16年の年月が過ぎてしまいました。 "にしてつの黄色い電車"、と言えばすっかり、「あぁ、香椎の2両編成ね〜。」と言う会話が定着しました。 認識は変化するもの。されど...これだけは言わせてほしい。 "貝塚線を走る黄色い電車は。 西鉄貝塚線色ではなく、西鉄宮地岳線色でもなく! 「西鉄特急色」であることを。" 是非、みなさまの認識は変化するもの。されど...これは言っておきたい。 教えて下さい。 (Mr.DIMER編集長)
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